2012年2月19日の礼拝メッセージ~「誰も働くことのできない夜が来る前に」~3つの意識(派遣意識、自己意識、時間意識)を持って生きる

2012年2月19日、峰町キリスト教会、安食弘幸牧師による礼拝メッセージの要約&感想です。

【参照する聖書の箇所】
------------------------------------------------------------------------------------
ヨハネの福音書9章1節~7節
1:またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
2:弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。
  「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。
   その両親ですか。」
3:イエスは答えられた。
  「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れる
   ためです。
4:わたしたちは、わたしたちを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。
  誰も働くことのできない夜が来ます。
5:わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」
6:イエスは、こう言ってから、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。そして
  その泥を盲人の目に塗って言われた。
7:「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」
  そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。

------------------------------------------------------------------------------------

【メッセージ要約】
------------------------------------------------------------------------------------

ある日、空港で、一人のおばあさんが椅子に掛けていると、隣に体格のよい男性が来た。
服の上からも筋肉が盛り上がっている。おばあさんは、

おばあさん:「凄い筋肉ですね。」

体格のいい男:「ええ、ボディビルをやってますので。」

おばあさん:「その筋肉は何のために使うんですか?」

彼は、パフォーマンスをやって見せた。おばあさんは驚いて、

おばあさん:「それでその筋肉は何のために使うんですか?」

彼は、ボディビルのチャンピオンになったときの写真を見せて、

体格のいい男:「こういう風にやるんですよ。」と又ポーズをとってみせた。

おばあさん:「ハイ分かりました。それで、その筋肉は何のために使うんですか?」

おばあさんにしてみれば、その筋肉を見せるためだけに使うというのが信じられなかった。
何に使うのかと疑問に思ったわけです。

現在の教会の中にも同様なことが見えます。皆さんの霊的筋肉は、隆々としています。
皆さんが賛美している姿は、霊的筋肉が盛り上がっている。

質問したい。「その霊的筋肉をどうするんですか?」

どうぞ神さまと人のために用いていただきたいのです。

ヨハネの福音書は、21章までです。その最後にヨハネはこう締めくくっている。

ヨハネの福音書21章25節
「イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、
 世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。」


ヨハネは、3年半、イエス様と共にいた。イエス様の語られたこと、なさった事が一杯あった。
だがその全部を書いたら、膨大な量になるので、選びに選んだ言葉を書き残した。癒しの奇蹟は
9、10章に書いた。

4、5節
「わたしたちは、わたしたちを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。
  誰も働くことのできない夜が来ます。わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」


ここに、イエス様の3つの意識がある。

1.派遣意識・・私を遣わして方がいる。私はその方に対する報告責任を持っている。という意識。

2.自己意識・・私は世の光です。という自己意識。

3.時間意識・・誰も働く事の出来ない夜がくるのだ。という意識。


もし、私たちが、自分の人生を本当の意味で豊かなものにしたければ、同じように3つの意識を
確立する必要があるのです。私たちは誰でも、人生最期の日を迎えます。多分その時、過去を、
振り返るでしょう。

「ああ、よい人生だった。やりたいことはほとんどやった。やり残したことはない。
 本当に素晴らしい人生だったなあ。」


と思える人は、なんと幸福な人です。逆にあれもやらなかった。これも・・と悔いが残る人生を
振り返るとしたら何と残念なことでしょうか。自分の人生を、満足感と充足感をもって振り返り
たいならば、この3つの意識をはっきりと作っておく必要があります。

1.派遣意識

イエス様は、自分は天の父に遣わされてこの世界に来たのだ。神の使命を果たすことが私の使命
である。という意識を持っておられた。皆さんは、誰に遣わされているという意識を持っていま
すか。

マタイの福音書25章14節~30節で、イエス様は、タラントの例え話をされました。
タラントは、お金の単位で、今は、タレント=才能という。旅に出ていく主人が、あるしもべに
10タラント、5タラント、1タラントを預けて旅に出た。帰ってきて、10タラント預けたし
もべは、更に10タラント儲けて主人に20タラントにして返した。5タラント預かったしもべ
は、更に5タラント儲けて10タラントにして返した。しかし1タラント預かったしもべは、そ
れを隠しておいて使わず、1タラントだけ返した。

すると、主人は最初の2人には、

マタイの福音書25章23節
「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにた
 くさんの物を任せよう。主人の喜びとともに喜んでくれ。」


と褒めたが、1タラントの人には、

マタイの福音書25章26節~27節
「悪いなまけものしもべだ。私が蒔かない所から刈取り、散らさない所から集めることを知って
 いたと言うのか。だったら、おまえは、その私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうす
 れば私が帰って来たときに利息がついて返してもらえたのだ。」


と叱った。私たちは、それぞれ、神様から何らかのタラント(=才能)を頂いている。
能力、才能、時間や財産などを、どう使うかが、神様の前に重要なことなのです。

人生は、クレジットカードの様だという。カードは、便利なものでお金がなくても何でも買える。
だが、月に1回精算しなければならない。それさえなければパーフェクトですが。
でも、自己責任において、どう使うかは任されている。

人生も同じです。

「お前の人生だよ。さあ、好きに使いなさい。」

と言ってくださった。

でも、最後にその人生をどう使ったか?という精算のときが来ると書いてある。

へブル人への手紙9章27節に
「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、」


死後、人生をどう使ったかを問われる。それならば、神の前に

「私は、どう生きるべきか?」という発想が出てくるはずです。

つまり、派遣意識が重要なのです。

2.自己意識

イエス・キリストは、「私は世の光です」と言われたし、実際にそう思っておられた。
故に、キリストの働きは、いつも光としての働きでした。例えば、私たちの生活で、光はどんな
働きをしているか。

明るくする、温かくする、道しるべになる(灯台の灯り)。だからイエス様は灯りの役目、絶望
の中の人に希望という灯りを差し込む。愛のない世界で凍えている人に愛の光となってあげた。
人生の道に迷っている人に「私が道だ。」と光となって道を照らしてくれた。

まさに、イエス様の働きは光の働きです。

イエス様は、自分は光だと思っていた。自分が誰だという自己意識と、その人の働きには、深い
関係がある。興味深いことに、「あなた方も世の光だ。」と言われた。

「あなた方は、世の光になるように努力しなさい。」

とは言わず、もうすでに世の光です。と言われた。皆さんは自分が世の光だと自覚していますか?
周囲の人は、そう言ってくれますか。帰宅すると「おお、うちの光が帰った」と言われますか。
「あいつが帰ると暗くなる」なんて。でもイエス様は皆さんも世の光だといってくださる。

光にも種類がある。強烈な明るさもあるし、豆電球もある。でも、真っ暗闇の中では豆電球でも
十分明るい。しかし太陽でも地球全体を照らすことはできない。イエス様は、

「あなた方は世界の光です」と仰った。

何ルクスとは言わない。豆電球でもいい。微笑みを失った人があなたに微笑みかけられて、微笑
みを取り戻せばあなたはそこに働いたことになる。人々の心に光を灯した。小さな励ましの言葉
が誰かに勇気を与えれば、光としての存在感を発揮したことになります。道に迷っている人に

「聖書の中に答えがありますよ。一緒に教会に行きませんか。」

と誘えば光としての存在感を十分証明していることになる。
世界を照らす光でなくても、世界の豆電球かも知れない。でも光なのです。大切なのは自分は光
なのだ。自分は小さな光かも知れないが誰かを照らす事ができる。部屋の片隅かも知れないが、
照らす事ができる。私の存在は誰かを温める事ができる。私は誰かを導く者なのだと、はっきり
認識してください。

そうすれば、人生が変わります。あなたを必要としている人が、どこかにか必ず居るのです。

3.時間意識

人の持っている時間意識は、生き方に影響します。イエス様が、十字架で亡くなり天に帰って行
かれた。その時、弟子たちが見上げていたら、御使いが現れて、

「このイエスは、またおいでになります。」

もう一度、キリストはこの世に来られて人間の歴史は完成する。と言ったのです。
さあ、皆さんがそこに弟子たちと一緒だったらいつごろ来られると思いますか。
当然自分が生きているうちに再臨はあると考えるでしょう。

初代教会の人々はキリストの再臨は近い将来だと思っていた。初代教会の大きな働きは、彼らの
時間意識と無関係ではなかった。しかしあれから2000年経ってしまった。
だったら私たちは初代教会の人々よりもっと切迫した時間意識を持つべきではないでしょうか。
イエス様の再臨は、もう間もなくだと考えていい。

もし「あなたに残されている時間はあと1年ですよ。」と言われたら、昨日までと同じ生き方を
するか。あと1週間です。あと1日。と言われたら寝食を忘れて何かをするでしょう。何か大切
なことをする筈です。

時間意識は、その人の生き方に深い意味を与えます。私たちはどこかで錯覚をしている。自分の
人生は、まだまだ続くと考えている。
去年の3月11日に東日本を大津波が襲った。その画面を何度も繰り返し見た。その場にいた人
は津波は来るときよりも、引いていくときの方が恐ろしい。すべての物を海へ引きずっていく。
家も車も人も引きずっていく。沢山の人がその場面を見たという。その人々は、老人も若い人も
子供もいた。生後間もない赤ん坊もいた。

あの地震の前日、明日、人生が終わると思った人はいただろうか。明日も1年後も、10年後も
まだまだ予定が一杯あったはずでです。一瞬のうちに人生が終わってしまった。たとい80年生
きたとしてもそんなに長くはない。私たちがやらなければならない事の時間は、そんなに多くは
ないのです。そういう時間意識をしっかり持つ必要があります。

・キャンベル・モルガン
 19世紀の有名な牧師。彼は多くの本を書き、日本語訳もある。彼の聖書の裏表紙には、こう
 書いてあった。「栄光の王が来られる。今宵かも知れない。」彼は、イエス様の再臨を意識し
 て毎日暮らしていたのです。

・トーマス・カーライル
 19世紀の歴史家です。彼の代表作は、意表哲学。彼も聖書の裏表紙に書いていた。
 「誰も働くことのできない夜がくる。」彼も自分の働きが終わる時がくる。今晩かもしれない。
 という意識をもっていた。

・サムエル・ジョンソン
 18世紀のイギリスの文学者、自分の懐中時計のふた裏に「夜は来る。」とこの聖句を刻んでいた。

・ウォルター・スコット
 サムエル・ジョンソンの弟子でイギリスの詩人です。彼は自分の裏庭の日時計に「夜は来る。」
 の文字を刻んでいたということです。彼が亡くなるとき臨終の床にいた。そばに秘書がいた。
 「Take THE Book。本を持ってきて、読んでくれ。」彼の書斎に大量の本がある。秘書は、
 「どの本ですか」と聞くと、
 「THE Book、つまり、本の前にTHEという定冠詞がつくのは聖書しかないんだ。その本だよ。」
 聖書を持ってきたらヨハネの14章を読んでくれと頼んだ。そこにこう書いてある。

 ヨハネの福音書14章1節
 「あなた方は心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」


 14章3節
 「わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来てあなた方を私のもとに迎えます。
  わたしのいる所に、あなた方もおらせるためです。」


 彼はそれを聞くと「すべて良し、すべて良し」と言って息を引き取ったそうです。
 彼はすべてのことをやり遂げて、充足感と満足感の中に天に召されていったのです。

このように、一連の出来事をみると、何か大きな働きをした人は、

「残された時間は多くないんだぞ。」

という意識を持って生きていたようです。事実、残された時間はそんなに多くないのです。  

◎福音宣教の2つの車輪

1)異邦人宣教

イエス・キリストは、

「父が私を遣わしたように、今度は私があなた方を遣わしますよ。」と言われる。

具体的には、

「あなた方は、世界に出て行って、すべての造られた者に福音を述べ伝えなさい。」

これが遣わされた者の使命です。弟子達は使命を果たすべく出ていきました。
でも使命は初代教会にだけ与えられているのではない。あらゆる時代の全てのクリスチャンに
向かって語られた使命です。

世界とは、それぞれがいる場所のことです。あなたの宣教地は、毎日行っている所、学校、
職場、家庭など日常の場があなたの遣わされている所が宣教地です。そこで、世の光としての
存在感を発揮すべきです。

学校であれ、会社であれ、家庭であれどこで何をしようとそこで光としての使命を果たして欲
しい。ただの会社員も、ただの主婦もいない。皆素晴らしい使命を帯びたビジネスマンであり、
主婦なのです。失意の人や、微笑みを失った人に微笑みを、励ましを福音を伝えて希望を持っ
てもらうのです。

2)ユダヤ人宣教

もう一つの神様の御計画には、ユダヤ人がもう一度帰ってくる。キリスト教2000年の歴史
ではユダヤ人が主役で福音宣教を担った。イエス様をはじめ弟子たちも、初代教会の人たちは
全部ユダヤ人です。ところが、残念ながら、異邦人のクリスチャンたちがユダヤ人たちを舞台
から追い払ってしまったのです。

彼らは、キリストを殺した張本人だ。彼らは神に捨てられた民族だと、間違った神学によって
ユダヤ人たちを宣教の舞台から追い払った。そして迫害してきた。だからユダヤ人をもう一度
宣教の舞台にのせるのは困難です。もう彼らは十字架をみると嫌悪感、イエスキリストの名に
嫌悪感を覚える。その民族がもう一度福音宣教の舞台に戻るとは考えられない。

それが起こると書いてある。聖霊の働きによるが、それには異邦人にも大きな責任があるあと
書いてある。

ローマ人への手紙10章19節
「でも、私はこう言いましょう。『はたしてイスラエルは知らなかったのでしょうか。』まず、
 モーセがこう言っています。『わたしは、民でない者のことで、あなた方のねたみを起こさ
 せ、無知な国民のことで、あなた方を怒らせる。』」


それには、どうするか?徹底的にあのユダヤ人を愛することだ。と言う。ユダヤ人を愛すると
彼らは疑問を持つ。その時

「私たちは、イエス様があなた方を愛するように、と言われたので、私はあなた方を愛するの
 です。今まで迫害してごめんなさい。これからはあなた方のために祈ります。助けます。」


と言って、愛を示していくときに、彼らの頑なな心がだんだん溶けていくのです。そして

「異邦人でさえ、こんなに神の愛にあふれているのに、神の選びの民の我らが神の愛に溢れな
 くていいものか。」


と気づいて神のもとに帰ってくるのだ、と聖書は預言しています。

詩篇122篇6節~7節
「エルサレムの平和のために祈れ。『お前を愛する人々が栄えるように。おまえの城壁のうち
 には、平和があるように。お前の宮殿のうちには繁栄があるように。』」


そして、神様は言われる。

「イスラエルを祝福するものを、私は祝福してあげるよ。」

私たちは世の光として、ユダヤ人の救いのためにも召されていることを忘れないでください。
------------------------------------------------------------------------------------
以上要約でした。

今回のメッセージでは、3つの意識を持って生きる事が必要だということを言っています。
人間にこの地上で残された時間には、限りがあります。その時間をどう使うかは、その人に
任されていますが、最後にその人生をどう使ったか、神の前で裁かれる日がやってきます。

では、どのようにして、限られた人生を歩んで行けばいいのでしょうか?それには、3つの
意識が必要だと、安食牧師は言っています。

先ず、派遣意識です。派遣社員は、派遣会社からの命令によって、派遣先の仕事を行います。
それと同様に、自分達クリスチャンも、神様から使命を頂いて、限られた時間を有意義に使
って、その使命を実行する事が必要です。その使命とは、異邦人宣教と、ユダヤ人宣教です。

また、その際に、自分は世の光なんだという健全な自己意識を持つ必要があると言っています。
派遣先は、人それぞれですし、持っている賜物も、人それぞれ異なります。ですから、海外
宣教だけが、異邦人宣教ではないですし、各自が使わされている場所で、各々が持っている
タラント(=才能)を生かして、周りの人を明るく照らせる様になりなさいと勧めています。

自分は、本を読んだり、文章を書いたりするのが好きなので、安食牧師のメッセージをブログ
やfacebookに書いていますが、逆に、文字を読んだり、文章を書くのが苦手という人もいる
でしょう。ですから、自分の得意分野や才能を生かせる事をして、日本人に福音を伝えたり、
ユダヤ人に献金する事で、ユダヤ人に福音を伝えればいいのです。

また、時間意識を持ちなさいと、最後に勧めています。ちょうど1年前の3月11日東日本
大震災が起こり、多くの方が亡くなられ、避難生活を余儀なくされています。その前日まで
は、平凡な日々を送っていた人々が、一瞬にして人生が終わってしまった。自分の住む栃木
県はたまたま海が無かったので津波に襲われる事はありませんでしたが、風評被害や、放射
線の被害を受ける様になりました。

今まで、自分がやってきた事が、一瞬にして変えられてしまうという経験をした人が多かっ
たと思います。ですから、時間は、無限にあると思わないで、時間は有限なので、効率良く
使わないといけないという事です。

栃木市出身の作家山本有三の路傍の石の中に、以下の言葉があります。



yamamotoyuzo.jpg

まさに、山本有三の言葉通り、限られた人生を、ほんとうに生かさなかったら、人間生まれ
てきたかいがないじゃないか。という事です。自分は、いい意味で、昨年の3.11があっ
て以来、自分の時間意識は変わった様に思います。限られた時間を有意義に、周りの人に役
立つ様に生きて行こうという風に変えられたと思います。

一人一人、役割は違いますし、自分の好きな事や得意な事で、他人の役に立てるようになれ
ばいいのでは、ないでしょうか。

内藤忍さんの以下の本は、時間意識を身に着けるためのノウハウが書かれています。



時は金以上なり。

今日が人生最後の日なら、今日の予定は自分が本当にやりたいことなのか?
byスティーブ・ジョブズ

時間がないからできないという人は、時間があったとしてもやらない

「いつかしよう」と思っていることの「いつか」は決してやってこない。

したいことをするなら、今。何かをするのに遅すぎるということはない。

過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる

などなど、内藤忍さんも、時間意識を持って、楽しんで、人生を歩む事を勧めています。
クリスチャンにもおすすめの一冊だと思います。

0 Comments

Leave a comment