2013年2月17日の礼拝メッセージ~「キリストにある生き方」~恵みによって強くなり、恵みの出口になれ

2013年2月17日、峰町キリスト教会安食弘幸牧師による礼拝メッセージの要約です。

【参照する聖書の箇所】
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テモテへの手紙第二2章1節~2節
1:そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。
2:多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。

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【礼拝メッセージ要約】
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今日は、短い箇所ですけれども、とても、大切なメッセージが書かれている箇所だと思います。

あるお母さんに3人の息子がいました。
3人とも独立し、それぞれの事業で成功し、3人とも大富豪になっていました。
お母さんの誕生日が近づいたので、3人の息子は、それぞれ、お母さんのための心を込めたプレゼント
を用意したんです。

長男の一郎さんは、お母さんのために、大豪邸をプレゼントしました。
12LDK!まあ、部屋が12もある様なものすごい大きなお屋敷をプレゼントしたんです。

次男の二郎さんは、お母さんに、最高級の車を送りました。しかも運転手付きで。

三男の三郎さんは、人間の言葉をしゃべる鳥。その鳥は、聖書を全部暗記しているスゴイ鳥ですね。
それをお母さんにプレゼントしました。

しばらく経ってから、お母さんから、それぞれ、3人の息子にお礼の手紙が届いたそうです。
長男の一郎さんには、

母「一郎や、あなたがくれた家は、一人暮らしの私には大きすぎる。それに第一、掃除が面倒だ。」

次男の二郎さんには、

母「お前がくれた車はね、最近、お母さんは健康の為に歩く事にしているから、乗らないんだわ。
 それに、あの運転手とは馬が合わない。」


そして三男の三郎君には、

母「三郎!お前は、お母さんの気持ちが本当に良く分かっているね!お前がくれたプレゼントが
 一番良かったよ。
お前がくれたあの鳥は、本当に美味しかった。」(笑)

聖書全部覚えている鳥、全部食べちゃったんですね。

自分が持っているものがどんなに素晴らしいか、気が付かない。
あるいは、自分が持っている物を正しく使う方法が解からない。


こういうのを「宝の持ち腐れ」といいますけれども、実は同じ様なことが、私たちクリスチャン
の信仰生活にも起こっているのではないか?

神様が、私たちにたくさんの良き賜物=プレゼントを下さっているのに、もらった私たちがその
素晴らしさに気が付いていない。あるいは、その素晴らしいものを、正しく用いられていない。
そういうことがしばしば起こっているのかもしれませんね。

ですからパウロは、エペソに書いた手紙の中で、こんなことを祈っているんですね。
それは、エペソの教会の人だけに必要な祈りでは無くて、今日の私たちにとっても必要な祈り
だと思います。その祈りは、こうです。

エペソ人への手紙1章17節~19節
「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示
の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あなたがたの心の目がはっきり見える
ようになって、神の召によって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどの
ように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐ
れた力がどのように偉大なものであるかを、あなたが知ることができますように。」


これは、エペソの教会のクリスチャンに対して、祈っているんですよ。
あなたがたの心の目は開かれてというのは、心の目が開かれていないクリスチャンもいるという
ことですね。で、開かれて、あなたが神様から頂いているものがどんなに素晴らしいものかが、
わかります様にと、こういう祈りですね。

今、パウロから手紙をもらったテモテという人は、いろんな問題に直面して、気落ちして、気弱
になっていたんです。ですから、パウロは、きっとテモテにもそういう祈りをしたんだと思います。

「お前が持っているものが、どんなに素晴らしいか、解かりなさい。解かって欲しい。」

今日の箇所でパウロは、2つの言葉で、パウロを励ましています。

1.神の恵みによって強くなりなさい

1番目は1節の所ですね。

1節「そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」

つまり、神の恵みによって、強くなれという言葉です。

ここでパウロは、テモテのことを「わが子よ。」と呼んでいるんです。本当の子供では
無い、本当のお父さんでは無いけれども、本当のお父さんと息子の様な関係がそこに
あったんですね。ですから、「わが子よ。」とこう呼びかけています。

そして、「キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」

キリスト・イエスにあるという言葉は、結びつくという意味です。
つまり、

「イエス・キリストを信じて、イエス・キリストと結びついたあなたが神の恵みによって
強くなりなさい。」


とこう勧めているわけですね。
このパウロやテモテ、1世紀の教会が直面した大きな問題は、間違った教えが教会の中に
入ってくるという恐れでした。

その代表的なものは、「ユダヤ律法主義」、律法主義的な教えでした。

律法主義というのは、こういう教えです。

「あなたが頑張れば、神様は祝福して下さる。」
「あなたが良い人になれば、神様は祝福して下さる。」


これは、旧約聖書のメッセージですね。
あのモーセが、シナイ山で神様から律法をもらいました。
そして、それをもらって、民のところに帰ってきたモーセが、民に神様からのメッセージ
を伝えるわけですね。

出エジプト記19章5節
「今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、私の契約を守るなら、あなた
がたはすべての民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。」


このメッセージは、単純明快です。それは、

「神様の律法を守るなら祝福される。」

というものです。裏を返せば守れない人は祝福されない。ということです。
神様は、イスラエルの民に、

「私の命令を守ったら、祝福してあげるよ。」

と言われたんです。しかしイスラエルの民は、そのメッセージを聞いて、神様を喜ばせよう
と懸命に頑張ったんです。でも、彼らが、結局分かったことは、

やっても、やっても、頑張っても、頑張っても、出来ない自分という者を発見したんです。

ですから、旧約聖書はイスラエルの民の不信仰の歴史が書いてあるようなものですよね。
やれば、神様の祝福、それは、分かっている。でも、やっても、やっても、やっても、
出来ない人間の弱さがそこにある。これが、現実なんです。

では、神様が私たち人間に律法をお与えになった目的は何かというと、それは、どんなに
人が頑張っても、神様の要求を満たす事は、人間の力には無いんだということです。


だから、人は、人間の力の限界を知って、

「神様、助けてください。あなたの助けが無くては、あなたの力が無くては、私は駄目です。」

という事を悟って欲しかったからです。
神様の恵みは、人間の頑張りによっては、手に入れることはできないんです。
それは、神様が一方的にあわれんでくれるのです。


にも関わらず、今日、多くのクリスチャンが旧約聖書の教え、考え方の中にいるんです。
それは、良い行いをして、祝福をもらおうということです。


パウロは、そんな生き方をテモテに教えませんでした。

「神の恵みによって強くなりなさい。」

恵みというものは、私たちがイエス・キリストに信じて、神様に結びついているなら、
その結びつている人に自動的に、一方的に与えられるものです。これが恵みなんですね。

ですから、律法と恵みとは、全く別のメッセージを発します。
律法は私たちにこう言うんです。

「あなたが、もっと良い人になったら、神様は祝福してくださいますよ。」

でも恵みはこう言うんです。

「あなたが、もっと良い人になるために、神様は祝福してくださいますよ。」

全く違いますね。律法は、良い人になったら祝福してくれる。
でも、恵みは、良い人になるために神の祝福があなたにあるんだ。ということです。

旧約聖書の預言者で、エゼキエルという人がいます。
彼は、やがて、イエス・キリストがやって来られて、そのイエス・キリストによって、
もたらされる恵みの生き方というものを預言していたんです。

今は、頑張って、頑張って、神様の恵みをもらう、そういう時代かもしれないけれど、
やがて、全くキリストによって、全く新しい時代が来るんだ。どういう時代かと言うと、

神様が、

エゼキエル書36章26節~27節
「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしは
あなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。わたしの
霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り
行わせる。」


ここでは、何回も何回も、神様の方が、私たちに与える。私たちの授ける。
私たちを歩ませる。私たちを守り、行わせる。と書いてあるんです。

律法は、「私たちが頑張れば。」と言いました。
でも、神の恵みは、「神様が私たちに何かをさせて下さる。」という世界なんですね。

私たちの信仰生活というものは、私たちのか弱い努力や、意志に依存しているのでは
無くて、私たちの内におられる力強い聖霊の働きに依存しているということです。

ですから、パウロは、さっきのエペソの手紙の中で、こう祈りましたね。

エペソ人への手紙1章19節
「私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどんなに偉大なものであるかを、あなたがたが
知ることができますように。」


私たち、信じる者、クリスチャンに働く神の偉大な力とは、聖霊の力です。
私たち、一人一人の中に、偉大な神の力が働いているんだ。それを分かって欲しい。
ですから、

エペソ人への手紙1章17節
「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と
啓示の御霊をあなたがたに与えてくださいますように。」


皆さんは、自分が信じている神様が、どんな方だとイメージ、想像していますか?
もしかしたら、それは、聖書が教える神様とは、大きくかけ離れている可能性があります。

同じく旧約聖書の預言者で、ゼパニヤという人がいます。
彼は、神様をこんな風に表現しているんですよ。

ゼパニヤ書3章17節
「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなた
のことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」


ここで、主は喜びをもってあなたを楽しんでおられる。って書いてあるんです。
ものすごい表現だと思いませんか?この天と地、大宇宙を造られた天地創造の神様が、今日、
地球上のこんな小さな、神様からしたら、アリよりも小さな、そんな私たち一人一人に目を
留めて、私たちのことを喜び、楽しんでくださっている。

聖書の中に、神様は、私たちの頭の髪の毛の数すら数えておられると書いてあるんです。

「皆さん、ちなみに自分の頭の髪の毛、何本あるか知ってますか?誰も知りませんね。」

「最近少なくなってきたな。」というのはわかりますけれども。

でも、聖書を読むとね、髪の毛に番号が付いていると書かれているんです。
皆さんが、今日、ブラッシングされた時、ちょっと抜けたでしょう?
何本抜けたかは、一応、数えれば分かりますが、何番が抜けたかが分かりますか?
神様は、ちゃんと、

「今日は、何番と何番と何番が抜けたね。」

とおっしゃるんです。私たちの髪の毛、一本一本に番号が付いている。
それくらい愛して下さっているのです。

皆さんも、自分が愛している人、自分が好きな人のことは、いろいろ知りたいでしょう?

「あの人の好きなことって何だろう?あの人は、朝ご飯何食べたんだろう?」

とかね。

「趣味は、なんだろう。何を上げたら喜んでくれるだろう。」

とかね。愛していれば、知りたいでしょう?もう細かなことでも、どんな情報でも。
神様は、私たちの髪の毛一本一本にすら、興味と感心を持っていらっしゃる。
それ程、私たちの事を愛している。

だから、神様は、私たちの事を見てね、

「喜びをもって、楽しんでおられる。」

それが、私たちの神様です。どうですか?ちょっと想像して下さい。
今日も、神様は、私たちをご覧になっているんですよ。

「あいつ、また眠っている。礼拝の中で。」

そんな事をですね、

「ああ、彼は、主の安らぎの中で、安らいでくれているんだなあ。」

と思ってくれるお方なんです。
皆さんのことを見て、愛おしくて、愛おしくて仕方がないんです。
そして、皆さんがイエス・キリストを信じた時にですね、神様、こうおっしゃった。

「ああ、よかった~。私の与えたその救いを受け取ってくれた。これで、お前と私は
永遠に一緒にいられるね~。この地上だけでなく、地上の人生が終わっても、永遠に
お前と共にいることができる。それは、私にとって、何て大きな喜びなんだろう。」


今日、神様は、そんな風に私たちをご覧になっているんです。
神様には、私たちに対する怒りは無いんです。私たちがたとえ罪を犯しても。

どうして?

その罪の罰は、イエス様があの十字架の上で、引き受けて下さったんです。
私たちの悪い所は、全部イエス様が引き受けてくださったんです。

もう、いい所しか残ってない。だから、神様は、私たちの事を見て、嬉しくてたまら
ないんです。それは、お父さんやお母さんが、愛する子供を見る様な眼差しです。
それは、おじいちゃんやおばあちゃんが、自分の孫を見る様な眼差しです。

愛おしくて、愛らしくて、抱きしめてね、目に入れても痛くない。
それ以上の愛を持って、私たちを見ておられる。どうですか?
その視線を感じたら、力が湧いてくるでしょう。これが神の恵みによって強くされる
ということです。

気落ちしているテモテに対してパウロは、

「テモテよ、もう一度、この神様の恵みを思い出して欲しい。その恵みだけが弱っている
あなたを強くすることが出来るよ。」


とこう言ったんですね。

2.神の恵みの出口を持ちなさい

もう一つのパウロのメッセージは2節、

2節「多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。」

言葉を変えて言えば、「神の恵みの出口を持ちなさい。」ということです。
あなたは、たくさん、神様の恵みを貰ったんですよ!
今度は、それを出口を持ちなさい。溜めとくと腐るからね。だから、出口を持ちなさい。
テモテは、エペソ教会の指導者として、色々な問題に直面しストレス一杯、プレッシャー
に押しつぶされそうになっていたんですね。臆病の霊に取りつかれて逃げ出しいと思って
いたんです。

そんなテモテは、

「もう自分はダメだ、失格者だ」と自分を責めていたんです。

そんなテモテに対し、パウロはですね、

「そんな状況の中にあっても、神様のあなたに対する愛は変わらないし、あなたに対する
神の計画も使命も何も変わっていない。今でも、そういうお前を使って、神様は、なお神
の恵みを広めていきたいと思っていらっしゃるのだ。」


そう言っているわけなんですね。
イエス・キリストの福音というものは、世代を超えて時代を超えて私たちの所にやって来
ましたました。あなたが、クリスチャンになったのは、誰かがあなたにイエス・キリスト
の福音を語ってくれたからですね。そして、その人にも誰かがその前に語っているわけです。
その前も誰かがその前に語っているんですね。

そもそも、どこから始まったかというと、イエス・キリストからです。イエス・キリストが、

「この福音を全世界に宣べ伝えよ。」

と弟子たちにおっしゃったので、ペテロやヨハネやヤコブ、パウロ達が出て行ったわけです。
で、ここでは、テモテは、パウロから聞いたんです。だから、パウロは、

「テモテよ、あなたは、私から聞いたよね。じゃあ、今度は、あなたは、次の人に渡しなさい。」

どういう人に渡すかというと、次の人に渡せるような人に渡しなさい。
そうやって、福音は、次の世代、次の世代へと届いていくわけですよね。
イエス様は、私たち全てのクリスチャンが、この福音宣教に携わることを願っています。
パウロが、第二コリントの6章1節で、こう言いました。

コリント人への手紙第二6章1節
「私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けない
ようにしてください。」


神様は、いくらでも恵みを下さるけれども、それを無駄にするな。
どうした時に無駄になるかというと、溜めこんだ時です。

「誰にも渡すものか~!」ってね。

そうじゃなくて、受けた恵みを、次から次へと、その出口を通じて流していきなさい。
そうして欲しい。それが無駄に受けないということです。


あるクリスチャンの女性の方がですね、イエス様を信じてはいましたけれども、今ひとつ
信仰の確信が無くてね、特に自分が死ぬという事に対して、恐れを感じていらっしゃった
んです。信仰がだんだん、確信が増してくると、自分の個人的な死に対する恐怖心が薄ら
いで来てね、

「死んでも、次の瞬間天国だから。」

というこういう信仰になるんですけれども、その方は、まだそこまでいっていなかったん
ですね。

「イエス様を信じている。死んだら天国行ける。わかっている。」

けれども、自分が死ぬことを考えると、何か不安に襲われるんですよね。
そんな彼女に、あるクリスチャンではないお友達がですね、相談に見えたんです。
ちょっと年配の方がね。その方が、こう言ったんです。

「あのね、私くらいの年になるとね、毎日死ぬことを考えるんですよ。この年になるとね、
いつ死んでもおかしくないでしょう?もう自分の死のことを考えたら、不安で不安で恐ろ
しくて、時には夜も眠れないんです。どうしたらいいんですか?何か、あなたは、その解決
法ご存じですか?」


そんな質問されたら、まさに福音の出番でしょう!

一応、彼女もクリスチャンなので、クリスチャンとして、知っていることを話したんです。

「あのね、それは、大丈夫なのよ。イエス様を信じるとね、罪が赦されてね、そういう人
はみんな天国に行けるの。だから、いつ死んでも天国行けるから、死ぬ事なんて全然怖く
ないのよ。」


とこう言ってですね、一通りの福音を語ったんです。
すると、その人がイエス様を信じたんです。

「イエス様、私も信じたい。」

って言って。そして、感謝のお祈りをし終わった時に、その人にイエス様のことを話した
その彼女はね、自分の変化に気づいたんです。

「あれ?自分は、もう死を恐れていない!」

その人に語るまでは、恐れていたんだけれど、語り終えたら、自分も確信をもらっていた
んです。それはね、自分が話すことによって、実は、自分が自分に向かって話していたんです。
これは神の恵みの出口を持っている人にしか味わえない恵みなんです。
実は、人に向かって何かを語る時に、自分自身にも励ましの言葉を語っているんです。
恐れている人、心配になっている人に向かって、

「大丈夫よ。イエス様が、いつも、あなたと共におられるから!」

大丈夫よ!と言いながら、自分にも語っているわけでしょう?

「神様は、耐えられない様な試練に合わせることは無いから、大丈夫よ!」

大丈夫よ!と言いながら、自分に向っても語っているでしょう?

「神様は、全てのことを益に変えてくださるから大丈夫よ!」

自分に語ってるんでしょう?それは、恵みの出口を持っているから、自分に語れるんです。
ぜひ、恵みの出口を持って欲しいですね。

◆「巣鴨プリズン」で起きた福音の連鎖
(アイリーン・ウエブスター・スミス宣教師)


東京の池袋に、サンシャイン・シティというビルがありますが、昔そこには、巣鴨プリズン
という刑務所があったんですね。日本が戦争に負けて、東京裁判というのが開かれたんです。
極東国際軍事裁判といいますけどね。これは、日本の戦争責任者と呼ばれるかつての日本の
軍部の上層部の人たちがね、戦争責任を問われて、裁判を受け、そして死刑になっていく。

この裁判自体は、本当に不当な裁判だったと思います。普通はね、勝った者と負けた者を
裁くのは、裁判制度としては、近代法の精神に基づけば、第三者が裁判すべきです。でなけ
れば、中立の裁判できないでしょう?ところが、この東京裁判って言うのは、勝った人が
負けた人を裁いたんです。だから、あの時に裁判官の席にいたのは、ほとんど戦争に勝った
国の人たちです。

だから、あれは、正当な裁判ではなくて、むしろ、勝った国が負けた国を公開でリンチした
様な問題ですよね。


で、その時に戦争責任者、いわゆる戦犯と呼ばれる人たちは、ほとんど死刑になっていく
わけですけれども、その時、一般の日本人は、その人たちをどういう風に見たかというと、

批判したんです。「あいつらのおかげで戦争に負けたんだ。」

手のひらを返す様に冷たい視線を送ったんです。本当は、あの人たちは、日本を守るために
戦争を始めたんですよ。でも、負けると手のひらを返した様に。そんな日本国民に見捨てら
れた様な戦犯と呼ばれる人々に、本当に愛の手を伸ばした人がいるんです。

それが、宣教師たちでした。


そういう宣教師の中に、アイリーン・ウエブスター・スミスというアメリカ人の女性の宣教師
の方がいらっしゃったんです。彼女は、戦後の混乱期の日本にやって来て、キリストの愛を
日本人に伝えるようと思ったんです。で、自宅を開放して、バイブルスタディを始めたんです。

sensei.jpg



そこに日本人の奥さんたちが来て、聖書を学びながら、イエス様を信じたんですね。その中の
一人で、西澤さんという女性の方がいらっしゃったんです。ある時、バイブルスタディが終わ
った後に、西澤さんが、アイリーン先生に

「先生、ちょっと、お願いがあります。実は、私の夫は、戦犯として、あの巣鴨プリズンに捕
まって、裁判を待っています。多分、死刑になると思います。私は、もう二度と、地上で夫に
会う事は出来ません。でも、もし、夫がイエス様を信じてクリスチャンになったら、私たちは、
天国で再び会えます。私はもう夫に会いに行けないけど、あなたなら、巣鴨刑務所へ行けるで
しょう。ぜひ西澤という囚人を訪ねて、イエス・キリストの福音を語って欲しいんです。私の
夫を救いに導いて下さい。」


そこで、アイリーン先生はですね、巣鴨プリズンに行くんです。そして、西澤さんに面会を求めて、
そこで、イエス様のことを話すんです。すると、西澤さんは、その場で信じたんです。

そして、アイリーンさんは、

「御主人は、救われましたよ。」

ということを奥様に伝えるんですね。すると、奥さんは本当に喜んで、

「ああ、これで天国で主人と会えますね。」

と感謝の祈りをした。それから1週間も経たない内に、またGHQの方から、アイリーン先生に

「囚人の1人で柴野という者が会いたいといっている。」

でも、アイリーン先生は、柴野という人は知らないわけですよね。
訪ねてみると、柴野さんは、西澤さんからイエス様の事を聞いたんです。
西澤さんがイエス様を信じて、喜びに満ち溢れているのを見てね、

柴野さん「何で、あんたは、そんなになったんだ?」

と聞いたら、

西澤さん「イエス様を信じたら、こうなったんだ。」

柴野さん「それだったら、俺も、そのアイリーン先生の話が聞きたい。」

ということで、呼び出しがかかったんです。
アイリーンさんは、その柴野さんにも話すんです。
すると柴野さんもその馬でイエス様を信じたんです。

こうやって、福音の連鎖が囚人の人たちに次々に広まっていって、結果的に14人の人
が救われた。イエス・キリストを信じて、洗礼を受けたんですね。ある時ね、14人の
人がイエス様を信じて、刑務所の中の雰囲気が変わったんです。


そのことが、司令官のマッカーサーの耳にも入ったんです。それで、ある時にマッカー
サーが、アイリーンさんに、

「もうすぐ、あの囚人たちの死刑が執行される日が近づいているので、その前にもう一度、
あなたが導いた人たちに会うチャンスを上げます。」


と言って、特別に面会の許可をくれたんです。
それで、彼女は西澤さんに面会に行ったそうです。そしたら、西澤さんがね、

「私は、本当にイエス様を信じて、今は死の恐れが全くない。でも、今、私の一つの心配は、
私の家族に、まだイエス様を信じていない人がいる。だから、彼らの救い救いのためにも、
ぜひお願いしたい。」


自分が、明日にも殺されるかも知れない中で、西澤さんの唯一の心配は、自分の家族でまだ
救われていない人がいるということだったんです。そして、2人は、最後の祈りをするんで
すね。涙を流しながら祈り終わった。祈り終わって、先生が帰ろうとすと、その2人の面会
を監視していたアメリカ兵が、先生を呼びとめたんです。先生、ちょっと待って欲しいと。

「先生、私のためにも祈って欲しい。私の母はクリスチャンで家を出る時聖書を渡して、
祈ってるからね。と言ってくれた。でも私は、今まで、イエス様を信じていない。でもあの
囚人たちの変えられた姿を見ると、私もイエス・キリストが必要だと分かった。だから、私
の救いのために祈って欲しい。」


そこで、そのアメリカ兵も救いに導かれたんです。
それから、しばらくしてから、また先生の所にGHQから使いが来たんですね。
どういう使いかと言うと、

「あの囚人達が、昨日、死刑に処せられたんだ。」

そういうニュースを持ってやって来たんですね。その使いのアメリカ兵がですね、こんな風
に報告したそうです。

「昨日、あなたが導いた戦犯たちが、処刑されました。最期は、みんなが讃美歌を歌い、
『主が共におられる。私たちは、死ぬのではない。天のふるさとへ帰るのだ』と言いながら、
聖書を抱きしめて、喜びの内に死んでいきました。」


その報告を聞いて、アイリーン先生はお祈りをするんですね。祈り終わって、目を開けると、
報告に来たそのアメリカ兵が、

「僕も信じたい。」

彼らの様子を見ていて、自分もそれが欲しい、こういってそのアメリカ兵も救われたんです。
そして、アメリカ兵の中にもバイブルスタディが広がって行き、中にはアメリカへ帰ってから
もう一度、宣教師として日本へ来た人も出て来たそうです。
不幸な裁判でしたけれども、そういう出来事の中にあっても、神様は、豊かな恵みを、その中
にいる人たちに注がれたということですね。

イエス・キリストの福音は、人間にとって、最悪の「死」という出来事に直面した人々に、
天国の希望を与えて、喜びに満ち溢れさせるという大きな力を持っている。
これは、イエス・キリストの福音にしか出来ないことですね。

イエス・キリストの十字架の死と復活によって始まったこの福音は、2000年の歴史を通して、
ずーっと私たちの所へ絶え間なく届いてきたんです。次は、それを受け取った私たちが、恵みの
出口になる事を期待されているのです。


皆さんは、映画のフィルムを見たことがありますか?一コマずつ長く繋がっているでしょう?
それが、順番に流れて来るから、映画が、ストーリーが流れて行くわけですね。
あの一コマが1/24秒で落ちるんです。1/24秒毎に落ちて行くんですよ。
何故、1/24秒かと言うと、そのスピードが、私たちの目の残像現象に合うからです。

残像現象というのは、物事を見ていて、「パッ」と取ると、一瞬残るでしょう?
その残っているのが、1/24秒だけ残っているんです。残っている間に次のコマが落ちてくる
から、繋がっていくわけですよね。そういう風に映画はできているわけですけれども、
イエス・キリストの宣教の物語という福音は、イエス様から始まって、そして弟子たちが
繋いで、そのまた弟子たちが繋いで、ずーっと2000年の歴史を通じてやって来たんです。

皆さんの所に届きました。その間に一体、何人の人がバトンを繋いでくれたでしょうか?
それは、「宣教の物語」という映画です。そして、あなたがその映画の主役です。今は。
さあ、その映画をどこで終わりにします?あなたで、「おわり」にします?
どうか、終わりにしないで下さいね。イエス様の再臨まで、その物語が続くように、あなた
も恵みの出口になって頂きたいのです。

パウロは、気落ちしているテモテに対して、

「恵みによって、強くなれ。そして、あなたが受け取った恵みの出口となりなさい。」

この2つのメッセージを通して、テモテを励ましました。
このメッセージは、今日の私たちに対するパウロの願い、神様の願いでもあると思います。
それをしっかり、受け止めていきたいと思います。
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以上要約でした。

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