2013年3月3日の礼拝メッセージ~「イエス・キリストを思う」~今も共におられる真実なるキリスト

2013年3月3日、峰町キリスト教会安食弘幸牧師による礼拝メッセージの要約です。

【参照する聖書の箇所】
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テモテへの手紙第二2章8節~13節
8:私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・
  キリストをいつも思っていなさい。
9:私は、福音のために、苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことば
  は、つながれてはいません。
10:ですから、私は選ばれた人たちのために、すべてのことを耐え忍びます。それは、彼らもまた
  キリスト・イエスにある救いと、それとともに、とこしえに栄光を受けるようになるためです。
11:次のことばは信頼すべきことばです。「もし、私たちが、彼ととともに死んだのなら、彼とと
  もに生きるようになる。
12:もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる。もし彼を否んだなら、彼もまた私たち
  を否まれる。
13:私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」

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【礼拝メッセージ要約】
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今日は、「イエス・キリストを思う」というテーマで一緒に考えたいと思います。

大角先生、2人息子さんいらっしゃるんですけれども、下の方の息子さんがS君って言うんです。
で、今大学の4年生で、3月卒業なんですけれども、2歳くらいの時です。
先生が、ある日、S君を得意そうに教会に連れて来ました。そして私に言うんです。

大角師「先生!家のSは、天才だよ!もう足し算、引き算が出来るよ!」

って言うわけでよ。ねえ、2歳でですよ。足し算、引き算が出来るって言うんです。

安食師「すごいね、じゃあ、やって見せて!」

お父さんがS君に言います。

大角師「いい?じゃあ、言うよ。3たす2は?」

S君「5!」

すごい、わー、すごい。2歳で3+2が即座にできるんですよ。指使わないで。

大角師「引き算もできるよ!7ひく2は?」

S君「5!」

すごい、引き算も出来る。まだ解かっていない方、ありますね~、大丈夫ですか?(笑)

大角師「じゃあ、もう一ついくね!10ひく5は?」

S君「5!」

うわー、すごい、すごい!まだ解かっていない人いますか?(笑)

まあ、もっと難しい計算も出来たと思います。たぶん割り算も出来たと思いますよ。

大角師「45÷9は?」

S君「5!」


ねえ、あの、平方根も出来たと思います。

大角師「√25は?」

S君「5!」


たぶん、英語も出来たと思いますよ。

安食師「S君、『行く』っていうのは、英語でなんて言うかな?」

S君「Go!」


なんてね。(笑)まあ、天才では無かったんですね。S君の一つ覚えという。。。(笑)

実は、今日の箇所には、パウロの一つ覚えとも言うべきテーマが書かれているんですね。
パウロのメッセージの中心、あるいは、パウロの信仰の中心的なテーマです。
それは何かといいますと、

「イエス・キリストを思う」

ということです。この思うと訳されている言葉は、彫刻家が石にいろんなものを刻んでいく、
そういう様子を表すんですね。パウロは、イエス・キリストを心にしっかりと刻み込んだ。
二度と忘れない、二度と離れない様に、自分の心にキリストを刻み込む様に思っていたと
いうことですね。

パウロは、それを、私の福音と呼んだわけです。

では、パウロは、どの様なイエス・キリストを思っていたのか?
それが、今日の箇所に書いてあるんですが。

1.死者の中からよみがえったキリスト

一つ目は、先ず8節です。

8節「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえった
  イエス・キリストをいつも思っていなさい。」


パウロがいつも思っていたイエス・キリストは、それは、

「よみがえったイエス・キリスト」

ここで、私の福音とパウロは言いましたけれども、それは、自分が作った福音という意味
ではありませんね。私に神様が委ねてくださった福音。そして私も聞いて、受け取った福音。
という意味ですね。その良い知らせ。それは何かと言うと、先ず、

「ダビデの子孫として生まれたイエス・キリスト」

何故、こんな表現を使ったかと言いますと、ダビデの子孫、つまり、私たち人間と同じ肉体
を持ってやって来られたお方なんだ。

当時は、

「神が人になるなんて有りえない。神が人間の姿になってやって来ることは有りえない。」

と。あのナザレのイエスが神だとするならば、我々は、幻を見ていたんだ。幻覚を見ていた
んだ。実体のない幻覚を見せられていたんだ。と、こういう主張をする人たちもいたわけで
すね。それに対して、パウロは、

「そうじゃない。あのイエス・キリストは、私たちと同じ様な人間の体をとって、やって来
られ、そして、私たち人類が経験する様な”死”を経験され、そしてよみがえったお方なんだ。」


「このよみがえったイエス・キリストをいつも思っていなさい。」

このよみがえったという言葉にも、特別な表現が使われているんですね。
それは、過去に起こった出来事が、今もそれが、ずーっと続いているという表現なんですね。

ですから、ここで、パウロが言っている、このキリストの復活を覚えよということは、

「イエス・キリストが復活したという歴史的な出来事を覚えていなさい。それを記憶して
いなさい。」


ということでは無くて、

「あのキリストが、よみがえったキリストが、今日も私と共にここにおられるということを
いつも思っていなさい。」


ということですね。

パウロは、このよみがえって、今も共に働いておられるキリストを、絶えず自覚していた。
パウロ自身は牢獄に捕えられていたんです。でも彼はこう言いますね。

9節「私は、福音のために、苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、
  神のことばは、つながれてはいません。」


私は、つながれているかもしれない。でも、よみがえったイエス様は、今日も自由に働いて
いらっしゃる。だから、神の言葉はつながれることは無いんだ。さらに10節で、

10節「ですから、私は選ばれた人たちのために、すべてのことを耐え忍びます。それは、
  彼らもまたキリスト・イエスにある救いと、それとともに、とこしえに栄光を受ける
  ようになるためです。」


ここで、パウロが言っていることは、

「神様に選ばれた人は、皆救われていくんだけれども、まだ、神様に選ばれていることを
知らない人がいる。そういう人たちが、やがて、キリストの救いに与る。それが、私の喜び
なんだ。それが、私の希望なんだ。」


とこう言っているわけですね。牢獄に捕えられて、死を待つだけのパウロにとって、唯一の
希望、唯一の支えは何かというと、それは、

「よみがえったキリストが、今日、私と共におられるんだ。ここにおられんだ。目には見え
ないけれども、確かに、私と共におられるんだ。」


これが、パウロが、私の福音と呼んだことですね。
私たちは、時々、出来事や、自分の感情によって、

「イエス様が今日は近い。」

とかね、

「イエス様が今日は遠い気がする。」

ということが有りうるかもしれません。でも、イエス・キリストは、いつも、私たちの人生を
共に歩んで下さっている方です。

◆「あしあと」''Foot prints,,マーガレット・パワーズ作

一つの詩を紹介します。それは、「あしあと」という詩ですね。
英語がオリジナルですが、Foot printsと言います。その日本語訳を紹介します。

ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
 わたしと語り合ってくださると約束されました。
 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
 ひとりのあしあとしかなかったのです。
 いちばんあなたを必要としたときに、
 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
 わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。

「わたしの大切な子よ。
 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
 ましてや、苦しみや試みの時に。
 あしあとがひとつだったとき、
 わたしはあなたを背負って歩いていた。」


マーガレット・パワーズさんの作ですね。まあ、有名な詩ですね。

この詩を作ったマーガレットさんは、若いころは、学校の先生をなさっていたんですけれ
ども、まあ、ある事故がきっかけで体調不良に陥って、その仕事を辞めざるを得なかった。

失意の中で、一人の男性と出会います。カナダ人のポール・パワーズさんと出会って、恋
に落ち、そして、将来を誓い合う仲になったんですね。ある時、二人で浜辺をデートした
んです。波打ち際をずーっと歩いたんですね。で、同じ道を振り返って帰ろうとした時に、
自分たちが歩いてきた足跡が所々波に打ち消されて、消えていたんですね。

その様子を見てですね、マーガレットさんは、少し、一抹の不安を覚えるわけですね。
それが、まるで、自分達の将来を暗示しているかの様。いろんな事がある。どうしよう。
そんな時、ポールさんが励ましてくれるんですね。

「どんな時も、イエス様は一緒だから大丈夫だよ。イエス様を、二人でしっかり信じて行こう。
もし、本当に辛いことがあったら、イエス様は、きっとこういう風にして下さるよ。」


と言って、ポールさんが、マーガレットさんを抱き上げて、歩いてくれた。
そのデートの光景が、ずーっと心に残っていたんですね。それを基にこの詩が作られたんだと
言われています。しかし、この詩は、長い間、作者不詳、誰が作ったか分からない詩として、
世界中に広がっていったんです。それが、最近、マーガレットさんの詩である事が分かったん
ですけれども。

このポールさんも、大変な人生を歩んできた方なんですね。
7歳の時にお母さんが亡くなります。7歳と言えば、まだお母さんに甘えたい年頃ですよね。
だから、毎日泣くんです。お母さんを思い出して。お父さんは、すごい厳しい人で、息子が、
彼が泣いていると、

「泣くな!男は泣くんじゃない!」

と言って、ぶっ飛ばしたそうです。それで、彼は、その悲しみを怒りと共に心の中に押し込め
てしまったんだそうです。ところが、その怒りがやがて、爆発し、悪い仲間とつるんで、強盗
や万引きをする様になります。そして10代の中頃には、殺人事件まで起こしてしまいます。
まだ未成年だったので、刑務所行きは免れるんですけれども、少年院に入れられ、そして、
更生プログラムというのがあります、それを受けなければならなかった。

その更生プログラムの中に、ある家庭にホームステイして、きちんと生活をするという、生活
のリズムを作るというプログラムがあるんですが、彼が預けられたお家が、クリスチャンの老
夫妻の所だったんですね。その家庭が、本当に神様の愛に満ち溢れていて、彼は、家庭の素晴
らしさをそこで、十分に味わうんですね。そのことを通して、彼の心が癒されていく。また、
その2人は、日曜に教会に行きますので、彼も一緒に教会に通う様になり、そして、そこで、
彼は信仰を持ったんですね。そういう過去を持っている人が、パワーズさんです。

パワーズさんがマーガレットさんと結婚をし、一緒に暮らし始めます。結婚してからも、マー
ガレットさんは、詩をずっと書き溜めていくわけですけれども、引っ越しの時にマーガレット
さんが書き溜めた詩の紙の入っている段ボールがどこかに紛失してしまったんです。

その中にこの「あしあと」という詩もあった訳ですね。

それが、どこで、どう回ったのか知りませんが、とにかくいろんな人の手に渡ってですね、
とても、素晴らしい詩だということで有名になっていたんです。だから、最初は作者不詳だった
んです。時々、「それは、私が作った物です。」と申し出る人がいたんですけれども、全部偽物
でしたけれども。

ある時、ひょんな事から、マーガレットさんの作であることが解かったんですけれども、それは、
夫のポールさんが、心臓病で入院するんです。で、その時、入院しているポールさんを励まそう
と思って、担当の看護師さんが一つの詩を持ってきたんですね。

「この詩は、私も励まされた、とてもいい詩ですよ。ポールさんも、きっと、励まし、慰めを
受けると思いますので、どうぞ、お読みください。」


と言ってもらった詩が、「あしあと」だったんですね。

「これは、今、作者不詳なんです。」

って聞いていたんですね。で、ポールさんが、

「これは、私の妻が作った物です!」

そう言ったそうです。でも、中々信じてもらえなかったそうです。
でも、結婚のアルバムの中にマーガレットさんの書いたこの詩のオリジナルが、挟んであるのが
見つかったんですね。それで、マーガレットさんが作った物だということが認められたんです。



この「あしあと」という詩はですね、もちろん、英語がオリジナルですけれども、日本語にこう
いう風に訳されて、たくさんの人々に勇気や励ましを与えている。素晴らしい内容だと思いますね。

まさにパウロが、言いたかったことです。

「どんな時にも、よみがえったイエス・キリストが、いつもあなたと共にいるよ。
苦しい時にこそ、キリストは、もっとあなたの側にいてくださるよ。
本当にあなたが、歩けない様な時は、キリストが背負ってくださるんだよ。
そのことを忘れないで欲しい。いつも、そのキリストを思っていて欲しい。」


これが、先ず一点目ですね。

2.常に真実であるキリスト

2つ目にパウロが、いつも、思うべきキリストの姿とは、それは、

「常に真実であるイエス・キリスト」ということです。

今日の11節から13節の言葉は、初代教会の讃美歌の一節だと言われています。
迫害の中にあった当時のクリスチャンたちは、自分たちの大切な信仰告白を讃美歌に託して
ですね、歌いながらお互いに励ましたと思われますね。ですから11節は、

11節「次のことばは信頼すべきことばです。「もし、私たちが、彼ととともに死んだのなら、
  彼とともに生きるようになる。」


これは、迫害の中で歌われた詩だとするならば、キリストの故に殉教を恐れなかった人は、
やがて、天国で永遠にキリストと共に生きる様になる。そういう意味ですね。そして、12節、

12節「もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる。」

これは、迫害の苦難を耐え忍ぶ人は、やがて、神の国でキリストと共に治める人になるんだ。

12節「もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる。」

これは、マタイの10章にあるキリストの言葉を思い起こさせますね。
イエス・キリストは、こうおっしゃいました。

マタイの福音書10章33節
「しかし、人の前でわたしを知らないというような者なら、わたしも天におられるわたしの父
の前で、そんな者は知らないと言います。」


こういう言葉ですね。そして、13節、

13節「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができない
   からである。」


私たち人間は、どんなに誠実な人でも、約束が守れないことがあります。
一所懸命やってみたけど、やっぱりできなかった。ごめんね。という事がありえます。
でも、イエス・キリストには、そんなことは無いというわけです。約束は必ず守られる。

それは、彼が常に真実だから。

この真実という言葉を辞書で引くとですね、

「うそや偽りの無いこと」あるいは、「表現されたものの内容にウソが無いこと」

言った事は、必ず守るという事です。イエス・キリストの言葉に嘘や偽りはない。
本気で、だから、受け取って、そのキリストの言葉に人生を賭けても、決して損はしない。
それどころか、大きな祝福に与るんだ。パウロは、この迫害の中にあるテモテに対して、

「真実であるキリストを思い起こせ。」

とこう言っていますね。

◆ポリュカルポスの殉教物語(2世紀のスミルナの主教、使徒ヨハネの弟子)

初代の教会にポリュカルポスという有名な指導者がいました。彼は、あの使徒ヨハネの弟子で
あったと言われています。AD(紀元)155年に彼がいたスミルナ地方で、大きな迫害が起
こりました。彼は、もちろんリーダーですから、真っ先に捕えられ、拷問にかけられます。
信仰を捨てるように迫られます。でも、彼は、最後まで信仰を保ち続け、そして殉教していった。

そういう人ですけれども、もう彼が捕まった時、彼は、86歳の高齢でした。その地方の総督
の前に、引き出された時に、総督は、目の前にしょぼい御爺さんが出てきたわけです。だから
もう、可哀そうに思ったんです。こんな御爺さんを拷問するなんて、とても出来ないと思った
んです。そこで、一つの提案をしたんですね。

「お前が信仰を捨てなければ、これからひどい拷問が始まる。そこで一つ提案をしたい。
お前に信仰を捨てよというのは、無理かもしれない。だから、口先だけでいいと。心は信じて
いてもいいから、口だけでも、キリストを否定してくれ。そうすれば、お前の命も助かるし、
私の面子も立つ。どうだろう?」


とこう言ったんです。するとポリュカルポスはこう言ったんですね。

「私は、イエス・キリストを信じて86年、その間、キリストは、私に悪い事を一度もなさい
ませんでした。そんなキリストを、たとえ口だけとはいえ、私は否定することはできません。」


「NO」と言ったんです。

それでも総督は、いろいろと提案するんですね。

「捨てなければ、野獣の前に投げ出すぞ。飢えたライオンが、そこで待っているぞ!」

でも、ポリュカルポスは、

「私は、良いものから悪いものに変更することなんて、とてもできません!」

そう言って「NO」と言うんですね。さらに総督は、

「じゃあ、お前を、火あぶりにするぞ!」

とこう言って脅すんですね。ですが、ポリュカルポスは、こう言います。

「あなたは、一時的な火で、私を脅そうとしているけれども、私は、それよりも、永遠に
燃える地獄の炎の方を恐れる。」


こう言って、頑として信仰を捨てなかったんですね。とうとう総督もあきらめて、彼に死刑
宣告をするわけですね。そして、年老いたポリュカルポスは、火あぶりの刑に処せられて、
亡くなったと言われています。

でも、彼は、最期まで顔を天に向け、讃美歌をうたいながら召されていったと言われています。
彼を支えたのは、

「イエス・キリストは真実な方である。86年間、キリストは一度も私を裏切ったことが無い。
いつも、良いことをして下さった。そんなキリストを裏切ることはできない。」


彼を支えたのは、真実なイエス・キリストへの信仰だと思いますね。
パウロが、ここで、私の福音と言って、テモテに語った、

「イエス・キリストをいつも思っていなさい、よみがえって今日もおられる真実なるキリスト
をいつも、思っていなさい。」


このメッセージは、今日の私たちにも必要なメッセージだと思います。
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以上、要約でした。

以下の本を、いのちのことば社のフェイスブックページで紹介されてましたが、マンガで解り易く
キリスト教初心者の方にも読みやすい内容でしたので、ご紹介しておきます。

2 Comments

おかざき  

長谷川枕山堂さん
テモテへの手紙 
聖書原文のままで「彼」をどう信ずるか、共に歩むか、理解できます。
牧師の例えの通りだと思います。

久しぶりに教会に行こうと思ってます。
フェブラリーの時、
「もし次に馬券で大きく稼いだら1/10(神様の分)はお返しします」って祈ってたら
当たってしまったので、祈った以上、誓った以上、守らないと、と思っています。
次の休みには、久しぶりに地元の教会に行こうと思います。
牧師先生も驚くと思いますが。

2013/04/25 (Thu) 00:52 | EDIT | REPLY |   

長谷川枕山堂  

お金よりも大切な者=イエス・キリストを信じられるか?

★おかざきさん、こん**は。

>テモテへの手紙 
>聖書原文のままで「彼」をどう信ずるか、共に歩むか、理解できます。
>牧師の例えの通りだと思います。

そうですね。お金よりも大切な者=イエス・キリストを信じられるか?がテモテへ
の手紙のテーマでもある様な気がします。

>久しぶりに教会に行こうと思ってます。
>フェブラリーの時、
>「もし次に馬券で大きく稼いだら1/10(神様の分)はお返しします」って祈ってたら
>当たってしまったので、祈った以上、誓った以上、守らないと、と思っています。
>次の休みには、久しぶりに地元の教会に行こうと思います。
>牧師先生も驚くと思いますが。

おかざきさん、信仰の回復ですね!(^^ 実は、自分も、3/30と4/13にサムソンズ
プライドが2連勝して馬券も当ったので、4/13に、教会に1/10献金しました。
無教会主義のおかざきさんが、教会に行かれるのは、いいことだと思いますよ。
競馬も、キリスト教も信仰が大事ですし、「与えなさい、そうすれば、与えられます。」
ですよ。5月は、夢のダービートライアルですので。

牧師先生に、いい証しができる様な気がしますね。おめでとうございます!

2013/04/25 (Thu) 13:21 | REPLY |   

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