2013年4月7日の礼拝メッセージ~「終わりの日に臨んで」~備えるべき最強の供え「品性の実」とは

2013年4月7日、峰町キリスト教会安食弘幸牧師による礼拝メッセージの要約です。

【参照する聖書の箇所】
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テモテへの手紙第二3章1節~9節
1:終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。
2:そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす
  者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、
3:情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、
4:裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、
5:見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けな
  さい。
6:こういう人々の中には、家々に入り込み、愚かな女たちをたぶらかしている者がいます。
  その女たちは、さまざまの情欲に引き回されて罪に罪を重ね、
7:いつも、学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たちです。
8:また、こういう人々は、ちょうどヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、真理に逆らう
  のです。彼らは、知性の腐った、信仰の失格者です。

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【礼拝メッセージ要約】
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ある、ドイツ人のお婆さんが、牧師の所に来て、「罪を告白したい。」とおっしゃたそうです。

牧師「どんな罪ですか?」

と聞くと、そのおばあさんが、

お婆さん「実は、私は、第二次世界大戦の時に、屋根裏部屋にユダヤ人をかくまっていた。

ある時、ドイツ兵がやって来て、

ドイツ兵『ここには、ユダヤ人はいないだろうな!?』

そう聞かれて、とっさに私は、

お婆さん『いません。』

とウソをつきました。これは、罪でしょうか?」

とこう言うんですね。そると、牧師は、

牧師「それは、人の命を助けるためについたウソですから、神様も許して下さいますよ。」

とこう言うと、

お婆さん「ああ、そうですか~、やっと長年の心の重荷が降りました~。ところで、もう一つ
     質問してもいいですか?あのー、屋根裏部屋にかくまうにあたり、家賃も取って
     いたんですけれども、これは、罪でしょうか?」


って、こう聞くんですね。すると、牧師が、

牧師「あなたも、相当リスクを取ったわけですから、家賃を取ったからと言って、罪には
   なりませんよ。」


お婆さん「ああ、そうですか~、安心しました。最後にもう一つ聞いてもいいでしょうか?
     彼に戦争が終わったと言うべきでしょうか?」


もう危機は、去っているのに、相変わらず、家賃を取り続ける。それは、罪か?

たぶん、罪だと思います。(笑)


しかし、危機が、すぐそこまで来ているのに、それを知っていながら、誰にも話さない。
これは、ある意味で、もっと大きな罪ではないでしょうか?


聖書を読んでいる皆さんは、何度も、何度も、聖書の神様の警告の言葉、それは、

「もうすぐ世の終わりがやってくる。だから、あなた方は、そのための準備をしなさい。」

という警告のメッセージが、繰り返し、繰り返し、語られています。
私たちは、それを聞いています。でも、私たちの周りの聖書のメッセージを知らない方々
にもし、それを伝えていないとすれば、それは、神様の前に罪だと思います。


聖書は、今日は、パウロの手紙ですけれども、パウロだけでなく、ペテロも、ヨハネも
ヤコブもその世の終わりについて、警告しています。例えば、ペテロは、こう書いています。

ペテロの手紙第一4章7節
「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」


1.終わりの日が来る

こう警告しています。終わりの日が近づいている。これは、間違いの無い事実です。
あの、私たちは、今、21世紀にいますけれども、まあ、ほとんどの方は、20世紀に
生まれた方だと思います。19世紀の方います?いないですね。
大体、皆さん、20世紀に生まれたと思います。

人類の歴史で20世紀というのは、特筆すべき世紀だと言われています。
人類の歴史が、大きく変わった、大きな変化を経験した世紀だと言われるんですね。
この20世紀に最も進んだ学問というのが2つあると言われています。
20世紀になって、大きく花が開いたと言いますか、飛躍的にその分野が広がっていった、
そういう分野が、2つある。

1つは、原子物理学の世界。アインシュタインの様な天才的な科学者が生まれて来て、まあ、
残念ながら、そのおかげで、原子爆弾みたいなモノが出来てしまったわけですけれども、
原子物理学の世界が、飛躍的に進歩した。

そして、もう一つは何かというと、これは、聖書学の世界なんですね。
聖書という書物が、確かな書物である。そして、聖書が言うように、確かにこれは、人間の
手によるモノではない。

神からのメッセージである。

そういうことが、さまざまな角度から、検証され、その確実性が、より増した世紀と言われて
いますね。例えば、1947年ですね。死海写本という物が発見されましたけれども、これも
考古学上、20世紀最大の発見という風に言われています。

とにかく、聖書というものが、20世紀に、もう一度、見直された世紀であると言われています。
多くの日本人も、聖書に興味や関心を持っています。けれども、聖書の中身を割と詳しく知って
いる日本人は、それ程、多くはありません。

皆さんの様に、毎週、教会に来て、聖書の話を聞いたり、自分で、毎日聖書を読んだりなさって
いる方は、相当詳しく聖書を知っている人たちと言ってもいいでしょうね。

ところが、日本人の多くは、この聖書のメッセージを知らない為に、聖書から、かけ離れたある
間違った考え方というものを持っているんです。3つあると言われています。

1)相対的思考

1つは、相対的な考え方です。

聖書は、この世界には、世界を造り、造ったものとは、明らかに存在の違う絶対者なる神がおられる。

と言います。その絶対的な神様を知らなければ、人は、相対的な世界でしか物事を考えることが
できません。簡単に言えばですね、

「人と比べながら生きる」

ということです。自分という人間は、どれくらいの人間かな?人と比べるしかないんです。
あの人よりは、上かな?でも、あの人には、負けるな?こういういつも、人との比較の中です。

日本の文化について、研究したルース・ベネディクトという人がいます。



「菊と刀」という本が代表的な本ですが、えー、文化人類学者ですね。日本人の精神構造をこう
いう風に分析しているんですね。

「キリスト教の文化の世界では、それは、「罪の文化」というものがあるけれども、日本人の中
には、「恥の文化」というものがある。」


とこう言ったんです。それは、どういう意味かと言いますと、聖書が言う様な、絶対的な神様と
いう存在が解かると、何か悪いことをしたらですね、それは、その神様に対する罪である。と
いう自覚が生まれる。

しかし、その絶対的な存在がいないと、悪いことをした時に、それは、「人の目に恥ずかしい。」
「世間様に見られたら恥ずかしい。」という恥の思いしか湧いてこないんだと。


それを「恥の文化」って言うんですね。

ですから、恥の文化の中では、時代とともに、善悪の基準が変わっていく可能性があるわけです。
例えば、その社会全体がですね、

「今日から、これは、いいことにしよう。」

としてしまったら、昨日まで、悪いということも、良いこととして認められてしまうという危険性
があるわけですね。一つは、こういう相対的な考え方。

2)進化論

2つ目は、何かと言うと、進化論です。聖書は、この世界の全ての物を造った創造主なる神様が
いらっしゃると言います。人間は、人間として、動物は動物として、初めから造られたんだと。
しかし、進化論は、そうは言いません。

「そんな造った神様なんていない。」

と。命というものが、太古の昔、海でポコッと発生して、自然発生をして、そして下等な動物から
徐々に高等な動物に進化して、今、我々人間はここにいるんだ。

とこういう説明ですよね。このことを最初に体系的に発表したのは、チャールズ・ダーウィン
いう人です。しかし、皆さん、ダーウィンが発表した進化論を、今、まともに信じている科学者
はいませんよ。まともな科学者の中には。

現在の科学で、彼の前提が、全部否定されてしまったからです。

例えば、「生命の自然発生は無い。」パスツールが、その事を実験で証明したんです。
進化論の大前提が、現代の科学で否定されています。その他、たくさんの進化論の前提は、現代
の科学によって、科学が進めば進むほど、矛盾してくるんですね。

それにも関わらず、日本人は、聖書を知らないために、相変わらず、科学者のほとんどが信じて
いない進化論が、今日も教科書に載っているわけです。そして、それが、あたかも唯一の人間の
存在を説明する方法として信じ込まされている。という一つの間違い。

3)ヒューマニズム(人間中心主義)

そして、3つ目は、何かと言うと、ヒューマニズムです。Humanismと言う英語は、日本語では
ですね、人本主義とか、人道主義とか、博愛主義と訳されますけれども、これは、正確な訳では
ありません。ヒューマニズムを正確に訳すと、「人間中心主義」ということです。

神様がいませんので、人間が中心なんです。人間が神の様な存在なんです。これが、ヒューマニ
ズムの根底にある物です。ヒューマニズムという考え方は、いつ頃出てきたかと言うと、フランス
革命以後です。フランス革命によって、人間の素晴らしさを、もう一度、再確認しました。
それは、それで、素晴らしいことでした。でも、それは、同時に

「神はいらない」という思想に結びついていってしまったんですね。

で、ヒューマニズムの基本的な考え方は、何かというと、

「人間性の本質は、善である。良いものである。」

しかし、人間は、時々、失敗したり、罪を犯す。でも、それは、教育が足りないからだ。
あるいは、環境が不十分だから。だから、人間に教育を与えて、良い環境を整えてさえすれば、
人間は、どんどん、人類は、どんどん良くなっていくんだ。だから、我々の世代が良い物を
築き上げ、その次の世代がその上にされに良い物を築き上げ、その次の世代がその上に良い物
を築き上げていけば、最終的にこの地上にユートピアが、理想郷ができるんだ。

これが、目指した物です。ヒューマニズムが目指した物です。

ところが、世界は、その後、どういう歴史を辿って来たかというと、先ず、第一次世界大戦が
起こります。これによって、900万人の人が死にます。その後、第二次世界大戦が起こります。
5500万人の人が死にます。そして、ナチスドイツによって、ユダヤ人が600万人虐殺
されます。

日本には、広島と長崎に原爆が落とされ、一瞬の内に数10万の人たちの命が失われて行きま
した。そういう現実を見て、ヒューマニストの人たちは、失望したんです。

人間は、どんどん良くなっていない。。。

人間が進化しているとすれば、残虐性においても進化している。
そんなものは、本物の進歩じゃ無い。そうやって、ヒューマニズムから離れていったんです。
ところが、日本人だけは、相変わらず、そのヒューマニズムをどこかで受け取っているわけ
ですけれどもね。

「いろんな問題がある。でも、何とかなるさ。人間の知恵が、その内解決するさ。そんなに
心配しなくても。」


根拠の無い楽観主義に陥っているわけですね。

でも、聖書は、世界は良くなるとは、言っていないんです。増々、悪くなると言います。
創造主なる神様から離れて、自分勝手なことをする人間は、どんどん、どんどん、悪くなって
いくんだ。そして、最後は、神の裁きでしか、解決できない世界をこの地上に造り上げてしまう。

これが、聖書のメッセージです。ですから、聖書のメッセージを知らない時に、人は、相対的
に、進化論に、そしてヒューマニズムの考え方にどんどん偏っていくということですね。


2.終わりの日に起こる事

今日の箇所でも、パウロは、1節でこう言っています。

1節「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。」

ある別の聖書は、この箇所がこういう風に訳されています。

1節「悲劇的な時代が来るから、覚悟していなさい。」

悲劇的な時代が、来ようとしている。だから、そのための覚悟をして置きなさい。
次にパウロは、終わりの日に起こることについて、触れていますが、5節と6節と8節に
こういう人々というのが書かれています。こういう人々というのは、パウロの時代にいた偽教師
あるいは、偽預言者たちのことです。

現代も、様々な異端的な教えがはびこっていますけれども、パウロの時代の異端的な教えは、
当時のギリシャ哲学の影響を受けたグノーシス主義と呼ばれるモノでした。
それは、どういう考え方かと言いますと、グノーシス主義というのは、
目に見えない霊的なモノあるいは、精神的なモノは善である。
しかし、目に見える物質とか、肉体、これは悪である。

という善と悪の二元論なんですね。で、その肉体は、悪いものですから、どういう風に扱うか?
ある人は、こう言ったんです。

「肉体は、悪い物だから、欲望を徹底的に禁止しなさい。抑圧しなさい。」

つまり、禁欲的な生き方をすべきだ。そうやって、人間の欲望を押さえることによって、人間は
素晴らしく生きていけるんだ。という禁欲的な生き方を勧めました。

もう一つは、同じグノーシス主義なんですけれども、肉体は、悪い物なんだ。だから、いくら、
押さえても、押さえても、必ず最後には出てくると。だったら、もう抑える努力はしなくていい。
と。肉体の欲望の思うままに生きたらいいじゃないか?という快楽主義的な生き方です。


現れ方は、全く極端ですね。禁欲と快楽ですから。でも、根っこは同じなんです。

それは、善悪のグノーシス主義ということですね。
特に、当時の教会を悩ませていたのは、快楽主義的な生き方なんです。それが、教会にも大きな
影響を与えてきたんです。その結果6節、

6節「愚かな女たちをたぶらかして、さまざまの情欲に引き回す。」

というこういう出来事が起こったんですね。で、パウロは5節で、

5節「こういう人々を避けなさい。」

と言っています。避けなさいというのは、挨拶もするな、顔も合わせるな、人づきあいするなと
いうことでは無くて、そういう人たちが持っている道徳的な影響力を受けない様にしなさい。
という意味ですね。


そして、この2節から5節に具体的な罪のリストという物が、19出てきます。
この2節から5節をリビングバイブルというもう少し平易な聖書の訳がありますけれども、それ
で読んでみますね。

2節~5節(リビングバイブル訳)
「自分だけを愛し、またお金だけがすべてだと考える風潮がはびこるからです。高慢な者、
大風呂敷を広げる者、神様をあざける者、両親にそっぽを向き、感謝することを知らない者、
手がつけられない ならず者が現れます。また、頑固で、決して他人を理解しようとしない者、
うそつきの常習犯で、問題ばかり起こし、頭はみだらな思いでいっぱい、といった連中が増えます。
彼らは乱暴で残忍な行動をし、善良であろうとする人をあざ笑います。友を裏切り、怒りっぽく、
すぐに思い上がり、神様を礼拝するひまがあったら、もっとおもしろいことをして過ごそうと
考えます。教会に出席する者がいたとしても、聞いたことを何一つ信じようとしないのです。
目をしっかり開けて、そんな人たちに近寄らないようにしなさい。」


まあ、こんな風に書いてあるんですね。これが、今から2000年前の文章とは、思えませんね。
まるで、現代の風潮をそのまま、描写しているかの様です。

世の中は、どんどん悪くなっていく。だから、私たちは、神様を信じ、聖書が教えるその
道徳的な規準を守るべきだと聖書は、言うんですね。聖書の中に「~~してはいけません。」
とか、「こういう風にしなさい。」という禁止命令や命令があります。それは、何のためかと
いうと、私たち人間の幸せのためなんです。

それを超えると、あなたの人生が壊れますよ。それを踏み越えると、あなたの人生が失われます
よ。という神様の愛の警告なんです。


ちょうど、崖っぷちに柵があってね、ここから向こうに行ってはいけません。というね、
立札が立っているとしましょうか?それは、何か、管理人の人がケチだから建てたんですか?
違いますね。それは、私たちの身の安全を図って、親切で、愛によって立札か立っているんです。
ちょうど、聖書の禁止命令も命令も、同じ神様の愛という動機から、私たちの幸せを考えて、
それが、書かれているんです。

だから、それを蹴飛ばす時に、それを無視する時に、その人の幸せやその人の人生が必ず、
壊れていくことです。


◆水上 治さんの教え(クリスチャンドクター)「聖書は私たちの心をからだを健康にする」



クリスチャンのお医者さんで、水上 治さんという方がいらっしゃいます。
水上先生は、聖書は、私たちの心と体を健康にするとおっしゃっています。
先生は、40年以上に渡って、聖書に書かれている食物に関する規定、例えば、聖書の中にはね、

「こういう物は、食べてもいいですけど、こういう物は、食べてはいけませんよ。」

という宗教上の食物規定というものが書かれているんですね。
あるいは、医学に関する様々な記述があります。

「例えば、こういう病気になった人は、こういう風に対処しなさい。」

とかね。そういう、聖書の教えは、現代の医学の観点から見て、本当に正しいのか?
ということを水上先生は、研究なさっているんですね。
その結果、わかったことは、聖書の教えに従うことは、肉体の健康に対しても、精神の健康に
対しても、非常に有効であると、こうおっしゃっています。

例えば、アルコールに関して、聖書は、こう言います。

箴言20章1節
「ぶどう酒はあざける者。強い酒は、騒ぐ者。これに惑わされる者は、みな知恵がない。」


と書いてあります。聖書は、一切お酒を口にしてはいけませんとは、言っていません。
ただ、強い酒で酔っぱらうな。と言っているわけですね。

そうすると、お酒の好きな人は、自分で適量を決めるわけですけれども、健康のためにいい
お酒の量というのは、ほんの一滴です。これ以上は、害になります。
水上先生は、お酒を控えることを勧めていらっしゃいますが、その医学的な理由はですね、

「アルコールは、人間のからだに対して、何の良い益ももたらさない。特に脳に悪い。」

ですから、最近ちょっと頭が変だな?ちょっとボケてきたかなという人はですね、年のせい
じゃないかもしれません。お酒の飲み過ぎから来ているのかもしれません。

そして、脳だけではなくて、水上先生は、こうおっしゃいます。

「その他、高血圧や心肥大を引き起こし、消化器系、生殖器、ホルモン系、腎臓、肝臓、
抹消神経、筋肉、骨に至るまで、さまざまな病気をもたらす。」


こういう風に警告なさっています。よく、お酒を飲む人が口実にする時に使う言葉がある
んです。それは、

「酒は百薬の長」

というやつですね。どんな薬にも勝って、お酒はいいんだ。だから俺は、飲むんだと。
でもね、あの言葉には、後が続くんです。

「酒は百薬の長、されど万病の元」

って書いてあるんです。何で、そこ切っちゃったんでしょうね。(笑)
ちゃんとフルに引用して欲しい。

また、聖書に書いてある健康に関する記述を守っているイスラエル人というのは、歴史的に
いろんな伝染病からも守られてきたんだ。と言われていますね。
モーセが書いた、旧約聖書の律法には、食物規定とか、健康に関するさまざまな教えがあり
ます。ユダヤ人は、宗教的な理由で、それを守りますけれども、それが、結果的に様々な病気
からもその民族を守ってきたということですね。

ですから、水上先生は、モーセの事をですね、

「予防医学の父」

と呼んでいらっしゃますけれども、例えば、聖書の中に皮膚病を患った人は、こういう風に対処
しなさい。こういう風に隔離しなさい。という教えがあります。それから、排泄物の処理につい
ても、書いてあるんです。ユダヤ人たちは、宗教的な理由で、その通りにするんですが、実は、
それが、医学的にも非常にマッチしている方法なんです。

細菌感染という、細菌によって、病気が感染するという考え方は、ここ数100年で医学の世界
で言われ始めたことですが、もう既にモーセの時代、3500年以上も前にですね、感染病予防
についての律法があったわけですよね。ですから、古代イスラエルでは、伝染病がほとんど蔓延
しなかったんです。

特に、中世のヨーロッパで、ペストとか、コレラが大流行して、何10万人もの人が死ぬという
出来事があったんです。でもその時も、ヨーロッパにいたユダヤ人コミュニティには、そういう
病気が起こらなかったんです。ですから人々は、

「この病気は、ユダヤ人のせいだ!」

と言う風にして、迫害の材料にしたんです。でも、それは、彼らが宗教的な理由で、手を一生懸命
洗ったり、あるいは、食物規定を守って、ばい菌を運ぶ様な動物を食べなかった。そういう理由
で、彼らは、伝染病に罹らなかったんですね。

この水上先生は、結論として、こうおっしゃっています。

「聖書は、第一義的に信仰の書である。そして、創造主なる神様と人間が正しい関係を結び、
霊的に健全になる方法を教えています。しかし聖書は、肉体の健康や医学に関する記述にも満ちて
います。従って、聖書に生きることは、私たちの霊も心も体も健康になり、この世で力強く生きて
生くことができる要因になるのです。」


こんなことを書いてらっしゃいます。

時代と共に、価値観が変わっていきます。例えば、今日も年配の方がいらっしゃいますね。
今の若い人が持っている価値観と、皆さんが若い時に持っていられた価値観は、随分変わったと
思いませんか?いや、正確に言えば、悪く変わったと言えませんか?

道徳のレベルってね、絶対、上がっていかないんです。
時代と共に、どんどん下がって行くんです。間違いなく。


昔はとても、恥ずかしくて出来なかったことが、今の若い人は平気でするんです。
そうすると、家庭の中で、こういう出来事が起こります。お母さんが娘にこう言うんです。

お母さん「あんた、何でそんなことするの!ダメじゃない!」

って娘を叱るんです。すると、中高生の娘生意気でしょう?何て言うかって言うとね、

娘「お母さん、古いのよ!今は、こうなの!みんなこうやっているのよ!これが新しいの!」

ってこう言うんですね。で、お母さん、「古い」って言われると怯むんです。
一歩怯むんですね。その時、怯んじゃダメなんです。怯まないで、一歩、前に出るくらいの
勢いでですね、

お母さん「道徳は、古いか、新しいかじゃない!正しいか、間違っているかだ!
     それは、間違っているからダメ!」


ねえ、迫力を持って言うべきですよ。お母さんたち、大丈夫ですか?
道徳は、古いか新しいかで判断してはダメです。そして、新しいもの程、古いものよりレベル
が下がっている可能性大です。


だから、私たちは、聖書が教える価値観というものに、しっかり心を留めて生きるということ。
それが、どんどん悪くなっていく世の中から、私たち自身を守るという、家族を守るというね、
非常に重要なヒントがそこにあると思います。

3.終わりの日に備える

最後に、終わりの日に備えるということをパウロは、語ります。

8節「また、こういう人々は、ちょうどヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、真理に逆らう
  のです。彼らは、知性の腐った、信仰の失格者です。」


て書いてありますね。モーセの時代に、ヤンネとヤンブレという人がいたんですね。
旧約聖書を良く知っている人は、この辺で「フン!」と思うんです。皆さん思わないでしょう?(笑)

「え!ヤンネとヤンブレってどこに出てきたかしら?」

実は、旧約聖書には、出てこない名前なんです。これは、ユダヤ人の言い伝えの中に出てくる人物
の名前で、たぶん、モーセが、エジプトの王様の所に行って、当時エジプトの奴隷であったイスラ
エルの民を解放してくれと、モーセが頼みに行くんです。

もちろん、王様は、「NO!」と言うわけです。だって、労働力が無くなるからね。

その時にモーセが、本当に自分が神様から遣わされた者だということを証明するために、奇蹟をして
みせるんです。例えば、持っている杖をポンと投げるとね、それが、蛇に変わるんです。
あるいは、健康な手を懐に入れてね、パっと出すと、病気になっていて、また懐に入れると治るん
です。そういう奇跡を見せて、自分が確かに神様から遣わされた者だということを証明しようと
するんです。

ところが、そのモーセが行った奇蹟を、エジプトの王様の魔術師たちが、同じ様に奇蹟をしてみせる
んです。すると王様は、

王様「家の魔術師も大したもんだな。お前の魔術も大したことないよ。」

まあ、こういう風にあざ笑うんです。その魔術師たちの中にヤンネとヤンブレという人がいたとされ
ています。ところが、モーセの行う奇跡のレベルがどんどん上がって行くと、もうエジプトの魔術師
たちは、マネができなくなってしまったんです。本当の神様の奇蹟が現れ始めると、悪魔はもう、
マネ出来ない。でも、このことから、ある程度、言えることはですね、

「悪魔もある程度、奇跡的なことが出来るということです。」

ですから、奇跡的な事があったからと言って、すぐに飛びつかない様にしてください。
飛びついたら、危ないですよ。それは、神様からじゃないかもしれない。
それは、悪霊の働きかもしれない。悪魔の働きかもしれない。
だから、見分けないといけないんです。見分ける方法をイエス様は、教えて下さっています。
マタイの福音書の7章のところで、

マタイの福音書7章15節~17節
「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。
あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、
いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。同様に、良い木は良い実を結ぶが、悪い木
は悪い実を結びます。」


例えば、冬に立ち枯れしている様に見えて、何の木か分からない。でも、そんな木が春になると
芽を出し、夏になると葉を生い茂らして、秋になると、実を結ぶわけです。実をむすぶとね、

「ああ、リンゴの木だったんだ!あ、これ桃の木だったんだ!」

と、実を結ぶことによって、その木が、初めて何の木だったか分かるでしょう。
同じ様に、その人が何をしているかではなくて、その人が結んでいる実、つまり品性の実を見て、
それが、神様からかそうでないかを知ることが出来るとイエス様はおっしゃったんです。

神様からの実はどんな実かと言うと、

ガラテヤ人への手紙5章22節~23節
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。
このようなものを禁ずる律法はありません。」


悪魔は、愛はマネ出来ないんです。喜びもマネ出来ないんです。平安もマネできないんです。
神様だけが、本当に愛を与えて下さり、神様だけが、本当の喜びを与えて下さる。
神様だけが、本当の平安を与えて下さる。悪魔は、マネ出来ない。


奇蹟的なことは、マネ出来ます。でも、愛は、マネ出来ない。平安や喜びもマネ出来ないん
です。

「それによって見分けなさい。」

とイエス様、おっしゃったわけですね。今日、皆さんのメッセージの要約のプリントの後に
ちょっと細かい字ですけれども、ここにですね、私たち神様を信じている者が、神様の助けに
よって、御霊の実としてですね、結ばせて頂く。さっき、愛。喜び、平安と書いてありましたが、
もう少し具体的な事が書かれています。そういう要素が、お互いの中に増え始めているならば、
皆さんは、確かに、神様によって成長している者です。

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ちょっと読んでみましょうね。全部は、読みませんけれども。

1)自分は神様に愛されている。と実感している。

私は、本当に神様に愛されているなあ。ということを、益々、月日と共に実感しているならば、
皆さんは、間違いなく、成長している人です。

2)死を怖いと思わない。

それは、天国への希望があるからですね。天国の希望がハッキリすればするほど、死というモノ
を怖いと思わなくなる。

3)コンプレックスや低い自己像(セルフイメージ)から解放されている。
4)他人と比べない


他人と比べない。他人の成功を素直に喜べる。いつも、人と比べない。
私は、私で神様は、愛して下さっているからいいんだ。

5)他人の成功を素直に喜べる

これも、成長の証しですよ。何か成長していない人はですね、人の成功や、人の幸せを素直に
喜べないんです。そういう人は、何か、幸せの量というものが決まっていてね、人が幸せにな
ると、幸せ、ゴソっと持っていかれて自分の取り分が減った様な気がするんです。
そうすると、人の幸せを足を引っ張ってみたりね。チョコチョコっと文句を言ってみたりね。
したくなるんです。それは、まだ、成長していない印です。

成長している人は、人の成功を心から喜んでくれることが出来る。ということですね。

6)会議などで自分が注目を受けることを目的にしない。
7)無理に好かれようとしない。結果的に人に好かれる。
8)お金が無くても後ろめたさが無い。
9)みすぼらしい服を着ていても平気。
10)お金持ちになっても後ろめたさは無い。


これは、パウロが、「私は、富む道にも知っており、貧しい道にも知っている。」
富んでも、貧しくても、私自身は、何も変わらないんだ。というそういう生き方ですね。
物を持っているか、持っていないかによって、自分の気分が変わったりしないことです。

まあ、ずーっとリストがあります。これが、私たちが、備えるべき、品性の実です。
世の終わりが、どんなに近づいて来ても、神に対する信仰と、そして、聖霊によって、私たち
が品性の実を結んでいく。これが、確かな備えだということです。


時代がどんなに変わっても、これこそ、最強の備えであるということです。
どうか、今週も、皆さんが、神様の恵みの中で、成長できる日々となります様に、心から
願っています。


万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整えて、身を慎みなさい。
聖書は、何度も、何度も、この人間の歴史には、終わりがある。あなた方は、神に会う
備えをしなさいと、警告をし、また、準備をする様に励ましています。

私たちは、そのメッセージを本当に真剣に考えながら、生きていますが、多くの方々に
このメッセージが届いていないという現実もあります。それは、私たちの責任だと思い
ます。どうか、世の光として、地の塩として、私たちを増々、用いてくださる様、お願い
します。神様の豊な愛が、私たちの内に、もっと確かなものになる様にと、今週も一日、
一日が、成長でありますように、助けて下さい。

イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。
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以上、要約でした。

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