2017年1月15日の礼拝メッセージ~『神のことばが下った』~バプテスマのヨハネの使命  

2017年1月15日、峰町キリスト教会、安食弘幸牧師による礼拝メッセージです。



「神のことばが下った」

【参照する聖書の箇所】
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ルカの福音書3章1節~20節
1:皇帝テベリオの治世の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤ
  の国主、その兄弟ピリポがイツリヤとテラコニテ地方の国主、ルサニヤがアビレネの国
  主であり、
2:アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに
  下った。
3:そこでヨハネは、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔
  い改めに基づくバプテスマを説いた。
4:そのことは預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。
  「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。
5:すべての谷はうずめられ、すべての山と丘とは低くされ、曲がった所はまっすぐになり、
  でこぼこ道は平らになる。
6:こうして、あらゆる人が、神の救いを見るようになる。』」
7:それで、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむ
  しのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。
8:それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの先祖はアブラハ
  ムだ。』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石
  ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。
9:斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒さ
  れて、火に投げ込まれます。」
10:群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」
11:彼は答えて言った。「下着を二枚持っている者は、一つも持たない者に分けなさい。
  食べ物を持っている者も、そうしなさい。」
12:取税人たちも、バプテスマを受けに出て来て、言った。「先生。私たちはどうすればよ
  いのでしょう。」
13:ヨハネは彼らに言った。「決められたもの以上には、何も取り立ててはいけません。」
14:兵士たちも、彼に尋ねて言った。「私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは
  言った。「だれからも、力ずくで金をゆすったり、無実の者を責めたりしてはいけません。
  自分の給料で満足しなさい。」
15:民衆は救い主を待ち望んでおり、みな心の中で、ヨハネについて、もしかするとこの方が
  キリストではあるまいか、と考えていたので、
16:ヨハネはみなに答えて言った。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。
  しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひ
  もを解く値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授
  けになります。
17:また手に箕を持って脱穀場をことごとくきよめ、麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き
  尽くされます。」
18:ヨハネは、そのほかにも多くのことを教えて、民衆に福音を知らせた。
19:さて国主ヘロデは、その兄弟の妻ヘロデヤのことについて、また、自分の行なった悪事
  のすべてを、ヨハネに責められたので、
20:ヨハネを牢に閉じ込め、すべての悪事にもう一つこの悪事を加えた。

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【礼拝メッセージ】
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さて、ルカの福音書を一緒に開いてきましたが、今日は、3章の前半のところから、ご一緒
に恵みを頂きたいと思います。

ある大都会に住んでいる非常に裕福なお父さんが、息子を連れて田舎の農場に行きました。
目的は、お父さんが、子供に、貧しい人の生活を教えたい。そういう意図を持って、田舎の
農場生活を体験させたんです。

3日間の体験が終わっての帰り道、お父さんが息子に言いました。

父「お前、貧しい人達の生活がよく分かったかい?」

子「うん。よく分かったよ。」

父「じゃあ、どういう風に分かったか、ちょっと話してごらん?」

子「お父さん、僕の家には犬は1匹しかいないけど、あの農家は犬が4匹もいたね~。
  しかも、牛や馬や鶏もいたよ~。」
 「うちには10mのプールしかないのに、あの家の前には、果てしなく続く小川があったよ~。」
 「うちには夜4器の街灯が照らすだけだけど、あの家は満天の星が、夜照らしていたよ~。」
 「うちの庭では、テニスくらいしかできないけど、あそこの庭はゴルフ場が取れるよ~。」
 「うちは食べ物をみんな買うけど、あそこでは、みんな自分で作っているよ~。」
 「うちでは、近所の人と何かすることはほとんどないけど、あの家は、近所の人が集まっ
  て、毎晩パーティをしていたね~。」


子「お父さん、良く分かったよ。うちがいかに貧しいか・・・。」(笑)

ある意味で、今日の箇所に登場する人物も実に豊かな生活をしていた人です。
彼は、ユダヤの荒野を住み家とし、ラクダの毛の着物を着て、食べ物はイナゴと野蜜つまり
彼は、夜は満天の星を照明とし、衣食住のすべてを大自然を利用して必要な物をただで手に
入れていた。実に豊かな生活をしています。

彼の名前は「ヨハネ」。

人々は、彼の事を「バプテスマのヨハネ」、「洗礼者ヨハネ」と呼んでいます。

今日は、このヨハネに関する記録から、一緒に学びたいと思います。

1.バプテスマのヨハネの登場
このルカの福音書は、福音宣教の始りを、イエス・キリストの公生涯から始めていません。
その前に、バプテスマのヨハネの活動があったということを、私たちに語っているわけです。

そして、このヨハネという人物が、歴史の表舞台に登場してきた時の出てきた時の当時の
社会的な状況というものを先ず詳しく述べています。それが、1節と2節の内容です。

1節~2節
「皇帝テベリオの治世の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤ
 の国主、その兄弟ピリポがイツリヤとテラコニテ地方の国主、ルサニヤがアビレネの国
 主であり、アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神のことばが、荒野でザカリヤの
 子ヨハネに下った。」


先ず、この時の皇帝は、皇帝テベリオという人です。
皇帝テベリオというのは、クリスマスの時に「住民登録をしなさい」と皇帝アウグストが
命令しましたが、そのアウグストの次のローマ皇帝が、このテベリオという人です。

彼は、非常に悪名高い皇帝としても有名です。

彼の第15年にバプテスマのヨハネが活動をスタートさせた。これは紀元後26年の事です。

そして、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督であったと書いてあります。
当時、このユダヤ地方は、ローマ皇帝の直轄地でした。
ですから、ローマ皇帝が直接ユダヤの総督を選んで、ユダヤに送ったわけです。
この時にローマ皇帝から派遣されていた総督が、ポンテオ・ピラトという人です。

彼は、第5代目の総督で、彼は紀元前26年から、紀元後36年までユダヤの総督を務めて
います。そして、このポンテオ・ピラトがユダヤの総督であった時に、イエス・キリストが
十字架に架かって亡くなっています。

使徒信条というクリスチャンの信仰告白をまとめた文章がありますけれども、その中に
こんな一節があります。

「主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、」


と書かれています。
つまり、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督であった時に、イエス・キリストは十字架に
付けられたんだ。

時々、聖書に批判的な人が、「ポンテオ・ピラトという人は実在の人物ではなかった。」
と主張する人がいます。それは、彼の名前が聖書にしか出てこないからだ。という理由
なんです。

ところが、1961年に、ある考古学チームが、イスラエルのカイザリヤという港町で、
一枚の石版を発見したんです。それに、「ポンテオ・ピラト」という名前が刻まれてい
たんです。それによって、ポンテオ・ピラトが確かに歴史上の人物だということが確認
されたんです。聖書以外にも、彼の名が書かれているものが発見され、そしてまた聖書
の記録が裏付けられたということです。

ピラトがユダヤの総督であった時、ヘロデが、ガリラヤの国主であったと書いてあります。
このヘロデというのは、いわゆるヘロデ大王の息子です。ヘロデ大王というのは、あの
「ベツレヘムの2歳以下の男の子を皆殺しにせよ!」と言ったあの凶暴な王様、彼の息子
がこのヘロデ、正式には、ヘロデ・アンティパスという人です。

そして、その兄弟ピリポが、イツリヤとテラコニテの国主だった。
また、ルサニヤがアビレネ(今日のシリヤ)の国主だった。
これが、当時の政治的な状況。

そして、次に宗教的な背景は、「アンナスとカヤパが大祭司だったころ」と書かれてい
ます。アンナスは元大祭司でしたけれども、彼はもう引退していました。ですから、
現在の大祭司はカヤパでしたが、引退したアンナスが依然として実権を握っていた。
カヤパは、アンナスの娘婿に当ります。そういう状況。

何故、ルカは、このバプテスマのヨハネが活動を再開した時に、こういう政治家の名前
や、当時の宗教界のリーダーの名前を、克明に記録したのか?2つの目的があります。

1)聖書の記録というものは、一般の歴史と全く無関係なものではなくて、きちんと
  タイアップしているんだ。聖書は、単なる作り話ではなく、確かに歴史の中で起こ
  っている出来事なんだ。


という事をルカは言いたかったんです。それが一つです。もう一つは、

2)当時の政治や宗教の世界が、まさに腐敗と堕落に満ちていた世界である。
  ほんの一握りの人たちによって、国が支配され、親から息子、息子から孫、また、
  その兄弟たちが権力を牛耳っている。それは、政治の世界も宗教の世界も同じだった。


そして、権力者たちは、権力を欲しいままにし、民衆を搾取し、気に入らない人物を次
から次ぎへと殺していた。そういう時代にヨハネが登場して来たんだ。

実は、このバプテスマのヨハネが登場するまで、ユダヤの世界では、長い間、神の沈黙が
続いていたんです。

旧約聖書の時代に多くの預言者が登場しました。
旧約聖書の最後の預言者は、例えば、ゼカリヤとかハガイとかマラキという預言者です。
彼らが活躍したのは、紀元前400年の時代です。

そして、彼らが亡くなると、その後、預言者は現れていません。

預言者は、神の言葉を頂いて、人々に語る使命をするわけです。
その預言者がいないということは、400年の間、イスラエルの人々は、神の言葉を聞く
機会が無かった。神の沈黙が、400年の間、ずーっと続いたんです。

そして、400年ぶりに、また神は、一人の預言者をお立てになった。
それが、バプテスマのヨハネです。

「そのヨハネに神の言葉が下ったんだ。」

とルカは、書いているんです。
その表現は、正にルカの驚きと喜びをこめた言葉です。

「また神の言葉が聞ける時代が始まったぞ!」

ということですね。

何故、神の言葉を聞くということが大切なのか?
それは、神の言葉だけが、人の魂を生かすからです。

申命記に書かれています。

申命記8章3節
「それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの祖先
たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるの
ではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなた
にわからせるためであった。」


私たちの肉体は、パンで養う事が出来ます。
でも、私たちの魂は、神の言葉がなければ、生きていく事が出来ない・・・。

神の言葉がなければ、私たちの魂は、成長できない。だから、

「再び私たちの魂を養う神の言葉が下って来る時代が始ったんだ。」

とルカは喜びをもってこの表現を書いています。
神の言葉だけが、人の人生を造り変えるという事です。

★ルー・ウォーレス(アメリカ人作家・軍人・元ニューメキシコ州知事)

昔アメリカに、ルー・ウォーレスという方がいました。
彼は、作家であり、軍人であり、また政治家でした。彼はニューメキシコ州の
知事も務めたことがあります。

彼は、初めキリスト教が大嫌いだったんです。アメリカをこんなダメな国にした
のは、キリスト教のせいだ。だから、キリスト教を何とかしてこの国から無くし
たい。彼はそう思って「キリスト教撲滅論」という本を書こうとしたんです。

この本が完成して、世に出れば、読んだ人はキリスト教のバカらしさに気が付き
みんな信仰を棄てるだろう。そう思って、その本を書き始めたんです。
1章を書き終えました。2章は歴史に関する事を書きたかったので、彼は、イス
ラエルに飛んだんです。

そして、いろんな資料を探し始めたんです。結果的にこの本は出なかったんです。
何故かというと、そのリサーチの途中で、彼がクリスチャンになったからです。
彼は、こう言っています。

「調べれば調べるほど、圧倒的な事実の前に私は、膝まづかざるを得なくなった。
調べれば調べるほど、聖書の言っている事は本当だと解って、私はキリストを信じ
ざるを得なくなった。」


特に、彼に大きな衝撃を与えた事が2つある。それは、

1)イエス様の弟子たちの変化

1つは、イエス様の弟子たちの変化です。
最後の晩餐を共にした後ゲッセネの園に行く。イエス様が逮捕された。すると弟子
たち、その途端に一斉に逃げたんです。自分の命を惜しんだからです。その弟子た
ちがほんの短時間にイエスのために命を投げ出す人に変わったんです。何が変えた
のか?ルー・ウォーレスは考えた。たどり着いた結論は、イエス・キリストが復活
に出会った事で、彼らは変わったんだ。

これが、彼を変えた1つの出来事です。

2)キリストの十字架の言葉

もう1つは、あのキリストの十字架の言葉です。
イエス様は、自分を十字架にかけて殺そうとする人々のために祈られたんです。
「父よ。彼等は自分が何をしているのか分からないのです。どうか彼らを赦してや
ってください。」と祈った。このキリストの祈りが、まるで自分の為の祈りだった
と思った。正にその言葉が彼に下ったんです。

それによって、彼の人生は変わったんです。

バプテスマのヨハネの上に神の言葉が下った様に、その時ルー・ウォーレスの上に
神の言葉が下ったんです。

そして、彼はイエス・キリストを信じる人間になり、別な本を書きました。
「ベンハー」(キリストの物語)という本です。



キリストと同時代のベンハ―という人物が、やがてキリストの十字架に出会って、
イエス・キリストを自分の救い主として信じて行く物語です。映画にもなりました。



神の言葉がヨハネに下った様に、ルー・ウォーレスの上にも神の言葉が下り、彼の人生が
変えられたんです。彼の人生が、その時からまともな人生になったといってもいいでしょう。

今日、皆さんがクリスチャンとして、神様を礼拝する人になっているのも、皆さんの上
にも神の言葉が下ったからです。イエス・キリストが自分の救い主だと解かったんです。
神の言葉によって、私たちは今日まで支えられ、励まされ成長させられてきたんです。
神の言葉は、私たちにとっても、重要な要素です。

2.バプテスマのヨハネのメッセージ

では、バプテスマのヨハネは、どんなメッセージを語ったのか?
その内容が3節に書かれています。

3節
「そこでヨハネは、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦される
ための悔い改めに基づくバプテスマを説いた。」


とあります。別の訳で言うと、「罪の赦しへと至る悔い改めのバプテスマ」とい
う意味ですね。

ユダヤ人は、元々宗教的なしきたりで、身体や手を水で洗い清める習慣があった。
ヨハネが説いたバプテスマは、そういう清めのための洗礼ではありません。
ヨハネが宣べ伝えたのは、旧約聖書の預言者たちが預言した様に、世の終わりに
メシヤが来て、新しい救いが訪れる。その時にメシヤを信じる印として1回限り
洗礼を受ける。そのことをヨハネはここで説いているのです。

「救い主がやって来られる。その救い主を信じる事を表明するために、今、洗礼
を受けなさい。」


こうヨハネは説いたんです。これは、イザヤもエゼキエルも語った事です。
悔い改めるとは「方向を変える」という意味です。あなた方は今まで神様に背を
向けて歩んでいたかもしれない。方向を変えて神に向かって歩みなさい。神と共
に歩みなさい。これが、悔い改めるという言葉の意味です。

「自分は、今日から神に向かって歩んで行きます。」

という心の決意を表明するための洗礼を受けなさい。こうヨハネは説いたわけです。

「罪の贖いは神様の側で準備なさっている。だから、あなた方は方向を変えて神に
向かって進んで行く事が必要なのです。そのために洗礼を受けなさい。そうすれば
神様は、罪の贖いを準備して待っていて下さるから。あなた方がすることは、ただ、
方向を変えて、神に向かって進むことだ。」


これが、ヨハネが説いたメッセージです。だから、これは福音なんです。
バプテスマのヨハネは福音を語ったんです。

「あなた方は神に向かって進め。神は贖いを準備して待っていて下さる。その悔い
改めの印として、洗礼を受けなさい。」


更にヨハネは、7~14節で、
「悔い改めにふさわしい実を結びなさい。」
と勧めています。そして具体的な内容
がそこに書かれているわけですけれども。

人が本当に悔い改めたら、必ずその人の生活に新しい変化が生まれ始めます。
最初は小さい変化かも知れませんが、確かな変化が必ず神と共に歩み始めると、起
こり始めるということです。

◎桑山欣也さん(横浜在住の整体師)



横浜の磯子区で、剣道を教えながら、整体師の仕事をなさっているさんと
いう方がいらっしゃいます。彼がどの様にして、イエス・キリストと出会ったかと
いうことを、お話になっていらっしゃるわけですが、少し紹介します。

「私が結婚して間もない頃、母がこの近所で美容院を開いていました。そのお客さん
の中に一人、クリスチャンの御婦人がいて、美容院に来ると、いろいろな話をする中
で、教会や聖書の話もよくして下さったのです。それを私もよく聞いていましたが、
その頃は、特に心に響いてきませんでした。」


「その後、私が整体院を始めると、その女性がお客として来て下さり、熱心に聖書の話
をしてくれる様になりました。改めて、聞かせて貰ううちに、聖書の言葉が強く重く
響くようになって、教会に行って見よう、聖書を読んでみようという気持ちが沸いて
きたのです。」


「そして聖書の話を聞いているうちに、私はこれまで何と自己中心に生きてきのかと思
ったのです。このままでは救われない。悔い改めて、神を求めよう。神が救い主とし
てお遣わしになった主イエス・キリストを信じよう。そして残りの人生を神様中心に
生きて行こう。と決心し洗礼を受けました。」


ある日聖書を読んでいる時、一つの言葉が心に迫ってきました。

第一ペテロ4章2節
「こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、
神のみこころのために過ごす様になるのです。」


実は、私は大変な大酒呑みでした。過去に何度も止めようとして挫折していました。
私は一大決心をして、「毎日酒を呑む習慣をやめよう。これに挑戦しよう。」と思い
立ちました。するとクリスチャンになって始めると何の苦もなく止められたのです。
それはお酒の好きな私にとって正に奇跡でした。

桑山さんがイエス様を信じる、従って行くと決心して洗礼を受けた。すると彼の人生
にも生活にも悔い改めの実が結ばれ始めたのです。それが今日まで続いている。

3.バプテスマのヨハネの使命

さて、あのヨハネの働きを見た人の中には、「あのヨハネこそ救い主ではないか?」
と思う人が現れました。ヨハネはその誤解を解こうときっぱり否定した。

16節
「ヨハネはみなに答えて言った。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。
しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつの
ひもを解く値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマを
お授けになります。」


靴の紐を解くことは、奴隷の仕事なんです。自分は、その仕事すらする資格がない。
それほど、偉大なお方が、後からやって来るんだ。その方は、あなたがたに、聖霊と
火のバプテスマを授けられます。

ヨハネは自分の使命を十分に理解していました。
「私は、やがてメシヤがいらっしゃる。その方に人々を紹介していく。その方の元に
人々を集めていく。それが私の使命なんだ。人々の関心を自分に集めるんじゃない。
メシヤに向かって、人々の関心を集めていく。それが、私の使命だ。」


この後、ヨハネは、ヘロデの罪を厳しく糾弾します。そのためにヘロデの怒りを買って、
牢獄へ投げ込まれます。そして、しばらく後、彼は首を刎ねられて亡くなります。
短い生涯だと思います。でも彼は最後まで、自分が神から与えられた使命に忠実に生き
抜いたんです。

ですから、後にイエス様が、ヨハネの事をこう評価された。

マタイの福音書11章11節
「まことに、あなたがたに告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより
すぐれた人は出ませんでした。しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です。」


旧約聖書に沢山神の器がいます。アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ヨシュア、
ダビデ多くの預言者たち。しかし、イエス様の評価は、彼等よりもバプテスマのヨハネの
方が遥かに大きな働きをした。

それは、直接メシヤを紹介する働きをしたからでしょうか?
彼が自分の使命に100%忠実だったからです。これがイエス様の評価です。

さあ、私たちにも、神様から与えられた使命があります。
御存知ですか?聖書ははっきりこう言っています。

イザヤ書43章21節
「わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を宣べ伝えよう。」


私たちは、神様によって造られたんです。何のため?
「神の栄誉を述べ伝えるため」「神の栄光を現すため」です。

また、パウロもこう言いました。

エペソ人への手紙2章10節
「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあっ
て造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その行ないをも
あらかじめ備えてくださったのです。」


この良い行いとは道徳的に良いという意味ではないんです。
「魅力的な」という意味です。
人々を魅了するような生き方をするために、私たちは造られたのです。

端的に言えば、私たちは、聖霊の助けを借りて、周りの人々が本当に感動できる
ような、そんな生き方をする事ができる。

それが私たちに与えられた使命だという事です。

◆インド・マザーテレサ施設での不思議な体験

これは、ある福祉大学の先生がお書きになったレポートなんですが、先生は自分の
ゼミの学生を毎年20人ほど連れて、インドのマザーテレサが始めた施設に、毎年
学生たちと一緒にボランティア活動に行っていらっしゃったんです。

2~3週間そこにいてですね、活動が終わると、学生たちにレポートを書かせる。
ある年も、学生を20名程連れて行ったそうです。

その経験をした1人の女学生が、面白いレポートを書いたんですね。どういう内容
かというと、その女学生が担当していたのは、10代の子供たちが入っている部屋
だったんです。施設には、電気照明がなくて、日が暮れると一日の仕事が終わる。

その日も夕方、仕事が終わって、彼女が施設から宿舎に帰ろうとして、自分がお世話
している子供たちの部屋の前を通ったそうです。入口の一番手前に寝ている子供の
顔が月明かりで見えたそうです。そして帰ろうとすると、その子と視線が合ったんだ
そうです。実は、その子は、昼間彼女がお世話をしたんですが、全然反応しなかっ
た子なんです。だから彼女にしてみれば、私はこの子に受け入れられていない。と
いう思いが強かったんです。その子が初めて視線が合って、手招きしたんだそうです。
彼女は、疲れていたんですけれども、男の子の元に行って、「何?」って聞いたら、
その男の子が、

「お腹が空いて、何かたべたい。」

と言ったそうです。

彼女は、台所でおかゆを作って持ってきて、1さじ、2さじ食べさせると、

「もういい。」

と言ったそうです。そして日本語で小さな声で、

「ありがとう。」

と言ったんです。その子は、翌日亡くなるんですけれども、その「ありがとう。」
と言った時に、不思議な事が起こったと彼女は、レポートに書いているんです。

「突然、その部屋の中が「パーッ」と明るくなって、見えないはずの一番奥の子ども
の顔まではっきり見えた。」


とレポートにその女学生が書いたんです。

先生は、それを読んで、きっと昼間、心が通じなかった少年とやっと心が通じて、
彼女の心が晴れ晴れしたせいだろうと思ったんだな。と理解なさったんです。

次の年、また20名の学生を連れて先生は、その施設に行った。今度は人手が足り
なかったので、先生もボランティアに参加したんです。先生は高齢だったので、お
年寄りの世話をしたんです。1日が終わり、疲れた体を引きずる様にして、宿舎に
帰ろうと部屋の前を通った時に、入口の老人と目が合った。そして手招きされたん
です。そして、何かと思って行くとですね、

「お腹が空いたから、何が食べたい。」

と言うんです。

先生は無視しょうと思ったが、可哀相に思い、疲れていたが台所でおかゆを作って
その老人にスプーンで食べさせてあげた。その老人は食べ終わると

「ありがとう。」

と言ったそうです。
その瞬間、突然部屋パーっと明るくなって一番奥の老人の顔まで見えた。
その時先生はハッとしたそうです。

あの女学生の話は本当だった。この事と同じだったのだ。
理由は分かりません。科学的には説明できないかもしれません。

でも、イエス・キリストは「私たちは世の光」だと仰ったんです。

私たちが、神様から与えられた使命を果たす時に、きっと天の神様は喜んで、私たち
を光として輝かせて下さるのではないでしょうか?


私たちには分からなくても、それが辺りを照らしたのかもしれない。
私たちが、神と人のために魅力的な行いをするときに、天のお父様は喜んで下さる。
何故なら、それが、私たちが造られた使命だからです。


どうか、皆さんの存在が世の光となりますように。今年何回も輝いて下さい。
それが、私たちに与えられた使命だからです。
それが、神に与えられた使命に生きるということです。
そういう日々を今年も重ねていきたいと思います。

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以上、2017年1月15日の礼拝メッセージでした。

Posted on 2017/01/19 Thu. 15:35 [edit]

category: 聖書

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