「田中正造に今、学ぶこと」~栃木の自由民権運動、足尾鉱毒事件から3・11まで

今週末、8月28日(日)に栃木市にある、国学院大学栃木学園教育センター3階ホールで、

「栃木の自由民権運動、足尾鉱毒事件から3・11まで
 田中正造に今、学ぶこと」


というシンポジウム(第39回渡良瀬川鉱害シンポジウムい)が開催されます。

長谷川枕山堂も、主催されている坂原さん、赤上さんから、資料提供という形で古本をご購入い
ただき、親父も田中正造を尊敬しており、祖父も田中正造の慰霊碑の字を書いている関係から、
宣伝させていただきます。

以下、そのご案内です。
tanakashouzou001.jpg

自分もこの際、田中正造とはどんな人だったのか学んでみたくなり、本を読んでみました。



今、原発事故による放射能汚染の問題で、福島県東岸が一部立ち入り禁止になっていますが、
今から120年くらい前の1887年(明治20年)、栃木県を流れる渡良瀬川で、足尾銅山
から流される銅イオン等の鉱毒によって、魚は死に、農産物ははかれ、約30万人の農・漁村
民が苦しめられるという足尾鉱毒事件が起こりました。

この時、悲惨な様子を見て立ち上がったのが、栃木出身の国会議員、田中正造であった。
正造は、熱弁をふるって政府にその対策を迫ったが、政府は聞き入れてくれない。
思い余った正造は、1901年(明治34年)ついに明治天皇の馬車に向かって直訴を決行した。

現在の栃木市藤岡町には、渡良瀬遊水地という湖があるが、この遊水地の在った場所には、
谷中村という村があった。

群馬県から、栃木県南部を流れる渡良瀬川流域は、大雨による水害になやまされており、その際、
足尾銅山から流れる毒による土壌汚染で、農作物や魚が取れなくなるという事態に何度も陥った。

日清、日露戦争に勝つために、銅が必要だった日本政府にとっては、足尾銅山が必要であったが、
その銅山からは、多くの鉱毒が渡良瀬川に漏れ出しており、台風等の水害の度に流域の村の農業
に多くの影響を及ぼしていた。

そんな、鉱毒に苦しむ地域住民のために立ち上がったのが、田中正造衆議院議員である。国会で
この鉱毒問題を取り上げ、勇敢にも、足尾銅山の閉山を求めたが、政府に聞き入れられず、政府
に失望した正造は、国会議員を辞め、明治天皇に路上で直訴した。

その頃、日本政府は、洪水対策として、谷中村の住民を村から退去させ、そこに大きな貯水池を
作ろうとする。田中正造は、これにも反対し、住民を守ろうとするが、この谷中村遊水地化計画
は政府によって強行されてしまいます。旧谷中村の住民の中には、那須や北海道に移住させられ
た人もいたそうです。

谷中村は、鉱毒によって滅びてしまった村なのです。まさに原発からの放射能によって、立ち退
きを余儀なくされている今の福島県東部の問題と重なる部分があります。

正造は、志半ばで、息を引き取りますが、死んだときに持っていたのは、日記三冊と、厚い原稿
と帝国憲法と新約聖書だけだったそうです。正造はクリスチャンにはなりませんでしたが、最後
まで、新約聖書を読んでいた様です。

政府にも天皇にも直訴したのに、聞き届けてもらえなかった田中正造が、創造主たる神やイエス・
キリストに救いを見出していたのかもしれません。

今回のシンポジウムでは、その田中正造の生き方に学び、現在の放射能汚染等の問題を抱える、
日本がどのようにして立ち向かっていったらいいのかを考えるシンポジウムだと思います。

今こそ、政府の間違いを勇気をもって正す、田中正造の様な政治家が必要なのではないでしょうか。
8月末には、日本の総理大臣が変わりますが、原発の問題に真正面から向かい福島県民の立場に
立った復興を行える総理大臣になって欲しいと思います。

場所は、栃木市駅からすぐ近くですので、福島県の方にもぜひ、来て頂ければと思います。

長谷川枕山堂も、家族で参加させていただこうと思っています。

0 Comments

Leave a comment